11月14日、NHK紅白歌合戦の出場歌手が発表された。事前にスピッツの初出場が取り沙汰されていたものの、発表リストにその名前はなかった。しかしネット上には落胆の声は少なく、むしろどこか安堵したような書き込みが目立つ。この独特の存在感は何なのだろう。批評家の伏見瞬氏がその独特の魅力を語る。
誰からも嫌われないスピッツ
スピッツが20年以上にわたり、日本のポップミュージック界でトップランクの人気を保ち続けてきたバンドであることは誰も否定できないだろう。浮き沈みの激しい世界で生き残り続けてきたこと自体驚嘆に値するけれども、それ以上に驚くべきなのは、彼らが誰からも嫌悪されないバンドになったことではないだろうか。
商業的に成功したミュージシャンの多くは、どうしても一部の音楽好きから軽蔑の念を抱かれがちだ。ブレイクした歌手やバンドが、大衆迎合の低俗な音楽家だと見なされたり、作品自体の質に目を向けない商業主義者だと思われることは往々にして起こる。
逆に、批評家や熱心なリスナーから高い評価を受けながら、大きな人気を得ることのない音楽家も沢山いる。彼らの音楽は多くの人にとっては曖昧であったり難解に聞こえたりして、快く受け入れられなかったりする。二極に分かれがちなポピュラー音楽界で、スピッツは、大衆的な人気を得ながらも、コアなリスナーの支持を失わずに活動を続ける、極めて希有な存在だ。
「分裂」の音楽
広範な人々からの人気というものは楽曲の質だけでなく、ミュージシャンのイメージ、宣伝の方法、音楽市場の経済的状況、社会情勢の変化などなど、あらゆる要因に左右されるから厳密にその原因を導き出すことは難しい。
けれども、スピッツの楽曲が、20世紀に誕生した「ポップミュージック」の伝統を受け継いでいることは証明できる。その伝統を大げさにいうのならば、きっと「分裂」ということになるだろう。