回復した京アニ放火容疑者は、なぜ「優しさ」についてまず語ったのか

凶行から垣間見える「やさしさの偏在」
御田寺 圭 プロフィール

他者との相対的な関係で自分のことを考える私たちは、この世のどこかに「掛け値なしのやさしさ」を享受している人がいるのに、自分にはそれが与えられないことを知ると、とてもつらく感じる。

容疑者は、アニメで描かれた「この世のどこかには掛け値なしのやさしさがある」というメッセージに勇気づけられたり、元気づけられたり、励まされたりはしなかったのではないだろうか。架空の存在が「やさしさ」を交換しあっている姿ですら、自分のみじめさを相対的に浮き彫りにするものであるかのように感じたのではないだろうか。それほど容疑者は「やさしさ」に飢えていたし、「やさしさの与えられない自分」に苦しんでいたのかもしれない。

人は「やさしさの不在」ではなく「やさしさの偏在」によって深く傷つく。時として「やさしさ」が自分に与えられないことを恨む。

 

人はやさしく、同時に冷酷である

今後このような凄惨な事件の可能性を少しでも減らすために、「やさしさ」を与えられず、むしろ他者からの冷たいまなざしに身も心も突き刺されながら社会の隅に追いやられている人に、私たちは手を差し伸べるだろうか。

私たちは、自分にとって「やさしさ」を配るに値しないと感じる人には、有限で貴重な「やさしさ」を分配したくないと願ったからこそ、「自由で平和で安全で快適で個人的な社会」を選んだのではなかっただろうか。私たちは「自分のやさしさを分配するに値しない相手」にはとことんまで冷たくし、それによって自分の便益を最大化することに、もはやためらいを感じなくなっている。

〈弁護団によると、GHは精神障害者ら10人が共同生活を送る施設。訪問介護サービスなどを展開する「モアナケア」(同区)が18年3月、市から設置を承認された。

(中略)弁護団によると、地元の自治会長から地域住民に説明するよう求められ、同社は18年12月と19年1月、説明会を開催。出席者から「不動産価値が下がるのでは」との声が上がったという。説明会後の19年3月には、「住民の安全を守れ」「地域住民を無視するな」などと書かれたのぼりが施設周辺の10カ所以上に立てられ、開設に反対する署名約700筆が市に提出された〉(神奈川新聞『「開設反対は差別」 精神障害者GHに住民が反対運動』2019年05月24日より引用)

ある人にとっては冷酷な人であるからといって、その人が他の誰に対してもまったく血の通っていない冷酷な仕打ちをするとはかぎらない。そのような人物が、たとえばだれかを冷酷に排除しようとするとき、その裏には別のだれかの暮らしを守りたいと思うやさしい心があったりもする。人間の「やさしさ」と残酷さは、しばしばコインの裏表である。

「やさしさ」を豊かに持つ人だけで集まって暮らしていくことは快適で幸せだ。だが、その代償として「だれかが幸せに過ごしている、ただそれだけでも許せない」と感じるような人が出てくる可能性を引き受けなければならなくなった。

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