会見中止で明らかになったお世継ぎへの「熱」

ご成婚後、雅子さまは陛下と共に、精力的に公務に臨まれた。ご成婚から1カ月後、東京サミットで来日した各国首脳夫妻を歓迎するための宮中晩餐会では、語学が堪能な雅子さまは、通訳を介さずに各国の首脳たちとご歓談。その姿は、新しい時代の皇太子妃像を思わせ、雅子妃の華々しい「外交デビュー」と絶賛されたのだった。

1993年7月8日、東京サミット参加各国首脳夫妻歓迎の宮中晩餐会にて、イギリスのメージャー首相を出迎えられる皇太子ご夫妻 Photo/JMPA

当時、若き皇太子夫妻の人気は高く、地方の公務にも引っぱりだこ。どこへ行っても国民の熱烈な歓迎を受けた。ご成婚翌年の1994年(平成6年)1月、新年の一般参賀に集まった参賀者は、雅子さま人気のおかげで前年の二倍以上皇室カレンダーは3倍の売り上げとなった。

ご成婚パレードを終え、東宮御所にはいられる皇太子ご夫妻 Photo/JMPA

皇室に新時代を拓き、幸せに輝いているかに見えた皇太子ご夫妻。だが、そのおふたりの上にかすかな影がさしはじめたのは、年が明けてまもなくのことだった。1月19日に予定されていたご婚約1周年会見が、前日になって、雅子さまの風邪による発熱のために延期と発表されたのだ。

妊娠初期には微熱が出ることも多いため、「ご懐妊ではないか?」と記者たちは色めきたった。

 

昭和天皇の妃である香淳皇后は22歳、美智子皇后は25歳、秋篠宮妃紀子さまも25歳で第一子を出産されている。雅子さまは当時30歳。年齢的にも、なるべく早い「お世継ぎ誕生」が期待されていた。

結果的に、その時、雅子さまはご懐妊ではなくただの風邪だったのだが、ちょっとしたことが「ご懐妊騒動」に発展してしまったことで、「お世継ぎ」に対する責任を強く意識したのではないだろうか。