コウノトリのご機嫌を損ねるかもしれません
雅子さまの風邪が治った2月9日、延期されていた会見が行われ、その席で陛下は、先走った「ご懐妊報道」に対してやんわりと苦言を呈している。
「あまり周囲で波風が立ちすぎると、コウノトリのご機嫌を損ねるのではないかと思います」
一方の雅子さまは、ご懐妊のプレッシャーへの質問に対して、
「特にそういうこともございませんけど、物事はなるようになるのでは、という感じがいたしております」と答えている。
一見、マイペースで余裕を感じさせるような発言だが、その時の雅子さまは、不安や焦りを口に出すこともできず、せいいっぱい気を張っていたのかもしれない。お世継ぎの重大性と皇太子妃の責任を痛感し、誰よりもお子様を切望されていたのは、ほかならぬ雅子さまなのだから。

「公務の在り方を考える必要はない」
1994年11月、ご夫妻は初の外国訪問でサウジアラビア、オマーン、カタール、バーレーンの中東4ヵ国に赴かれる。サウジアラビアの赤い砂漠を歩かれる雅子さまの緑と黒のパンツスーツ姿は、ひときわ鮮やかだった。
翌1995年1月17日に、「阪神・淡路大震災」が発生。その時の被災地への慰問をきっかけに、雅子さまは、自分が公務でどのように役に立てるかを宮内庁に相談された。

が、「考えるべきはお世継ぎのことで、公務の在り方を考える必要はない」という答えが返ってきたという。
雅子さまにしてみれば、どれほどショックだっただろう。国のため、国民のために役立ちたいという想いを抱いて入った皇室で、「皇太子妃の仕事は世継ぎを産むことだけ」という現実を突きつけられたのだ。
どんなに望んでも、子どもは思い通りに授かれるものではない。が、それができない自分は皇太子妃として失格なのではないだろうか……?
生真面目で責任感の強い雅子さまは、深く思い悩み、苦しまれていたのだと思う。
しかし、そんな雅子さまの心の内とは裏腹に、その頃宮内庁の中では、「雅子妃が世継ぎの重要性を自覚していない」という誤った見方が広がりつつあった。昔から、夫婦に子どもができないと、原因は女性の方にあると思われがちだったが、雅子さまもそんな根拠のない古い考え方に責め苛まれることになったのだ。