小鳩退場! 鳩山最後に「小沢をひと刺し」
民主政権大崩壊、そして第2幕へ
内幕ドキュメント本当は虫唾が走るほど大嫌いだった
鳩山政権は、あっけなく潰えた。国政を混乱させた宇宙人は、最後に大幹事長に意趣返しをして退場し、リリーフで登場したのは、菅直人。"イラ菅"は救世主たりえるのか。
鳩山由紀夫首相より2分遅れて会場に到着した小沢一郎幹事長は、歩きながら目をぎゅっと瞑り、一瞬、苦渋の表情を浮かべた。

6月2日の民主党両院議員総会。小沢氏は早足で自分の席に近づくと、「ここでいいのか?」と短く周囲を見回しただけで、隣の鳩山首相とは、目を合わせることもなく着席した。
実はこの両院議員総会で、鳩山首相は自分が何をどう語るのか、事前に小沢氏には伝えていなかったという。
そして、鳩山首相は最後の土壇場で、小沢氏をトラップに嵌めたのだ。自らの辞意を表明すると同時に、こう宣言した。
「幹事長にも職を辞していただきたい。そうすれば、よりクリーンな民主党を作ることができる。民主党を再生させるため、とことん、クリーンな民主党に戻そうじゃありませんか」
鳩山首相の呼びかけに、民主党議員は拍手喝采で応えた。この時点で、鳩山首相と小沢幹事長の「同時辞任」が決まった。満座の前で小沢氏の辞任を宣言し、認められたことで、あわよくば幹事長職を守ろうとしていた小沢氏とその側近の、逃げ道を完全に断った。鳩山首相は自らのクビと引き換えに、剛腕・小沢を、一瞬にして封じ込めたのだ。
それだけではない。鳩山首相は、北海道教職員組合の政治資金規正法違反事件で責任を問われる、小林千代美代議士にも辞職を促した。これは小沢氏の側近であり、小林氏同様、日教組を支持母体とする輿石東(こしいしあずま)・参院議員会長に対する、強烈な当てこすりだ。
輿石氏は、地元・山梨での評判が芳しくなく、次の参院選では落選の危機に陥っている。小林氏の失脚は、輿石氏の支持基盤にも大きなダメージとなる。鳩山首相は小沢氏のみならず、その最側近の手足も、ただ一言で縛り上げたのだ。
いったいなぜ、鳩山首相は最後の最後に、こんな悪意に満ちた大芝居を打ったのか。本来、幹事長ほどの要職者の辞任は、幹事長自らが正式な場を設定して公表すべき問題だ。しかし、鳩山首相はそれを分かった上で、あえて小沢氏に、自分で止めを刺した。

そこに垣間見えるのは、鳩山首相の小沢氏に対する、激しい怒りと恨みである。そもそも鳩山首相と小沢氏は、生まれも育ちも、まるで異なる水と油の関係。それが、自民党から政権を奪取し、民主党政権を維持する、ただそれだけのために手を結んできた。
しかし、その危うい表層的な関係は、鳩山政権が終焉を迎えるにあたり、ついに決裂した。鳩山首相は、自らを退陣に追い込んだ、小沢氏とその一味を赦すことができなかったのだ。
これまで我慢をしてきたが、名門生まれの鳩山首相にとって、小沢氏は、理想も理念もない、利権好きの"選挙屋"に過ぎない---。テレビカメラの向こうで全国民が見守る中、鳩山氏は小沢氏を「汚い政治家」と名指しし、政権の表舞台から葬り去ったのである。
「アナタとは絶交します」
6月2日の両院議員総会ですべてが決着するまで、鳩山・小沢両者の「暗闘」は、約1週間にわたって繰り広げられていた。二人が包み隠してきた深い亀裂が最初に表面化し始めたのは、5月26日のことだ。
この日、民主党の参院議員総会が行われ、その場で噴出した議員らの声を首相に伝えるため、輿石氏が首相官邸に駆け込んだ。
「このままだと、参院選で我が党は惨敗する。衆参のねじれが生じれば、政権運営は困難になり、自民党の二の舞だ。あなたに対する不満の声を、これ以上抑えることはできない」
ただし、この時点で鳩山首相は明確な返答を避けている。そして「小沢幹事長と協議したい」と語り、翌27日、サシでの会談が急遽、セットされた。
首相動静には出ない、27日の"極秘会談"。互いの進退をかけて、鳩山首相と小沢氏が直接向き合ったのは、これが1回目だ。
「福島(みずほ消費者担当相)が政権批判を繰り返していると支持率が下がる。だが、彼女を罷免すれば、参院選に大きな影響が出る」
そう語った小沢氏の狙いは、普天間問題の決着を先延ばしするなどし、福島氏をいったん慰留して社民党の政権離脱を防ぐべし・・・というものだった。
だが、鳩山首相は、またもクビを縦にふらなかった。この夜の密談は、実質的に物別れに終わった。
そして28日。この日を境に、民主党内の「鳩山降ろし」が加速する。
鳩山首相は、前夜に話し合った小沢氏の意向を一切"忖度(そんたく)"せず、「基地の辺野古移設」で日米共同声明を押し通すことを決定。逆らう福島氏を罷免した。
これは小沢氏にとって、宣戦布告に等しかった。
「あなたの意見は聞かない」。そう示した鳩山首相を見て、小沢氏も見切りをつけた。民主党参院を中心とする「鳩山包囲網」の構築に動き出したのだ。
先手を打ったのは小沢グループ。5月29日、30日の週末、鳩山首相は日中韓首脳会談のため訪れていた韓国・済州島のホテルで、記者団にこう話していた。
「みなさんが思っているほど、小沢さんとの関係はぎくしゃくしていない」
ところが、同じ頃日本では、小沢氏側近の輿石氏らが、鳩山降ろしのための具体的行動を始めていた。
社民党関係者が証言する。
「5月28日の福島氏罷免後、社民党の重野安正幹事長や又市征治副党首らは、『全国幹事長会議における提案』というペーパーをまとめました。実はこの文面には当初、『鳩山首相の退陣を求める』『受け入れられなければ、政権離脱の方向を確認する』という文言が盛り込まれていました。
結果的にその文言は削除されましたが、その文を挿入すべく、裏で糸を引いていたのが、民主党の輿石氏らだったのです」
輿石氏ら民主党参院幹部の狙いは、「鳩山だけを外す」ことだった。社民党の政権離脱をちらつかせ、鳩山首相が自ら辞任するよう仕向ける。しかし、実際には福島氏や社民党の地方幹部が強硬だったため、社民党は問答無用でいきなり政権を離脱することになり、このプランは失敗に終わる。
しかし、その一方で福島氏が罷免された5月28日夜の段階で、小沢氏に近い複数の議員から、
「鳩山首相が辞めるだろう。社民党が離脱すれば政権はもたなくなる。政局になるが、慌てないように」
との情報が流布されていた。鳩山首相が退陣するのを既成事実化し、外堀を埋めようとする動きだった。
韓国から帰国した鳩山首相を待っていたのは、そんな身内からの「辞めろコール」の嵐。その背後にいるのが誰かは、言わずとも明らかである。小沢一郎、その人しかあり得ない。
小沢氏は表面上、鳩山降ろしの動きには加わっていなかった。"汚れ仕事"に自分は手を染めない。それが、田中角栄元首相ら師匠の失敗から小沢氏が学んだ、政界遊泳術でもある。
だが、小沢氏が犯した実質的な背信行為を、鳩山首相も見逃さなかった。
「小沢氏は福島氏が罷免された際に、直接彼女に電話して、『あなたが正しい』と激励していた。そして重野幹事長ともコンタクトを取り、『こんなこと(政権離脱)になり誠に申し訳ないが、選挙協力はお願いしたい』と、参院選に向けた体制の再構築も話し合っていました。
鳩山首相はこの小沢氏の行動で、すでに自分がハシゴを外されており、切り捨てられるシナリオが進んでいることを確信したのです」(鳩山首相周辺)
もしも政治家にならなかったとすれば、おそらく一生口もきかないほど、かけ離れた感性の二人だ。
実際、鳩山首相はかつて、小沢氏のことを「私が考えている政治家像からは離れた存在」「自民党の権力抗争に敗れて党を飛び出しただけなのに、改革を掲げてごまかしている」などと、痛烈に批判している。
民主党のベテラン代議士は、「こうなることは必然だった」として、こう話す。
「もともと小沢さんは、利用しやすい人間を担いで使い捨てるだけの人。鳩山さんもそれは十分に分かっていただろうが、政権維持のためと思い、ガマンしていた。東京・世田谷の土地を巡る資金疑惑でも、首相はあえて小沢さんを庇った。なのに、最後はやっぱり裏切られた。『アナタとは絶交します』。鳩山さんはそう言いたかったのでしょう」
鳩山首相は、自らを失脚させようという包囲網の真っ只中、腹を決めた。もはや辞めざるを得ないのは仕方ない。だが、「これ以上、小沢の思い通りにはさせない」、そう決心したのだ。