たった3分の歌で…
「きっかけは、2012年の暮れに、たまたま村上幸子の『昭和金色夜叉』をYoutubeで見つけたことでした」
そう切り出したのは、小野さんに電話をかけてきた蘇我飛鳥さん(52歳/通称、飛鳥さん)である。彼は、東京・品川で光触媒の布製品の製造メーカーを経営している。その傍らホームページ『村上幸子を偲ぶ……』の管理者でもあった。
「私は、以前から小説の『金色夜叉』が好きだったんですが、物語には納得がいかなかった。何で許嫁がいるのに、ダイヤモンドなんかに目が眩んで、好きでもない男とのところに行くのかとね。
ところが、たまたま村上幸子の『昭和金色夜叉』を聴いたらハッとなったんですね。『ああ、そうだったのか』とお宮の気持ちがわかった。たった3分間でお宮の気持ちを語ることができるんだと感激しましたね。そして歌声がすごくよかったのも印象的でした」
村上幸子の名前に聞き覚えはなかった。周囲に聞いてみても誰も知らない。調べてみると、彼女は1990年7月に亡くなっていると知った。
「可哀想にと思いました。そんなに有名な歌手じゃなさそうだし、写真もたくさん残っているわけじゃない。そもそも、私自身があまり歌を知らないし、聴く事もないし、ましてや自分で歌うことなんてありませんでしたからね」
それでも、いつしか飛鳥さんは、「村上幸子」のことが気になるようになっていった。YouTubeで彼女の曲を見つけては聴いていた。
「そのうち、彼女の墓参りに行きたいと思うようになったんです。命日は7月23日でしたから、2013年3月のお彼岸に新潟に行くことにしました」