業績回復へ「社員5割削減」!? 講談社社長の巧妙な「意識改革術」
大衆は神である(80)ノンフィクション作家・魚住昭氏が極秘資料をひもとき、講談社創業家・野間家が歩んできた激動の日々と、日本出版界の知られざる歴史を描き出す大河連載「大衆は神である」。
社長復帰を果たした野間省一は、近代的な企業としての出版活動を目指し、科学的経営への転換や、『群像』による社の意識改革に乗り出す。だが思いとは裏腹に、計画は遅々として進まず、講談社には経営危機の噂まで流れていた——。
第八章 再生──省一体制へ(3)
文士の身辺
『群像』の大久保房男の話をもう少しつづけさせてもらいたい。
彼の『文士と文壇』(講談社、昭和45年)は、戦後文壇の文士と編集者のありようをその息遣いまで精緻に描いた傑作なのだが、私が最も心惹かれるのは次のエピソードである。
――昭和34年の春、大久保は、吉行淳之介(よしゆき・じゅんのすけ)が妙なところ、つまり東京は城南の外れにさまようことを耳にした。当時の吉行は『驟雨(しゅうう)』で芥川賞を受賞して波に乗る若手作家である。
大久保は吉行と会ったとき、そこにある池の名を言って「あのあたりはどうですか」といった。すると、吉行はぎょっとして「あたしはそんなとこなど」といったが、われながら空々しかったのか、「いやちょっと」といいかけて、あきらめたらしく、「よくご存じですねえ」といった。
大久保は老人のような作り声をして、「私もこれでジャーナリストの端くれでしてな、文士に関する限りすべての情報が入ってきますよ。あなたが何をしてもすっかり私にゃわかっとりますぞ」というと、吉行は困った奴に知られたもんだ、という顔をした。
それからいろいろのことがあった。
その年の夏の終わりにA女が社に大久保を訪ねてきた。厄介な話にちがいないと思って、個室の応接間に通した。A女は、
「兄ちゃんは人のいうことはきかないんですが、あなたのいうことだけはよく聞くんです」
といった。兄ちゃんが誰だかよくわからなかったが、話すうちに吉行だとわかった。A女は大久保に、B女にうつつをぬかしている吉行によく言って聞かしてくれということだった。
大久保は「私は仕事以外で作家とつき合うつもりはなく、作家がいい作品を書くためにはできるだけの世話をしようとは思うけれど、作家の世俗的な幸福とか家庭のことなどどうだっていいと思っている奴ですから、そんなこと頼まれても困ります」と答えた。
A女の言葉から、吉行は大久保のところへ行くとか、大久保に呼ばれているとかいっては家を出て城南方面をさまよっているにちがいない、と大久保は思った。
それはちょっといけますねえ、使えますねえ
それから半月ほどしてB女が突然訪ねてきた。このあいだ、A女が座ったところに座ったB女は、舞台の間をぬって駆けつけてきたらしく、ドーラン化粧をし、長いつけ睫毛(まつげ)をつけ、瞼(まぶた)の縁を黒く塗っていた。大久保が吉行に、A女が訪ねてきたと言ったのを聞いて、あたしのほうも聞いてもらわないと、というつもりなのか。B女は自分の胸の苦しさを大久保に訴えた。
話しているうちにこみ上げてきて、目にいっぱい涙をためた。そのうち左の目から涙があふれた。瞼の縁どりの黒い顔料を融かし、黒い涙となって、一条頰を流れた。
「こっちの方、黒い涙が流れとる……」
と左の目をさして大久保が言うと、B女は急いでハンカチを出し、目の上から頰にかけて強く拭った。B女は、とれましたか、という顔をして大久保を見た。彼女の顔がアンバランスになっているのに大久保はぎょっとした。
「あっ、そうだ。つけ睫毛が取れてしもたんだ」
と大久保がいうと、B女は右の目も強くハンカチでふいた。両目ともつけ睫毛が取れて、B女は普段の顔になった。B女の悲しげな顔が照れた笑顔になり、それがあまり崩れないうちに帰って行った。
大久保は吉行にB女の黒い涙のことを詳しく話した。吉行は、それはちょっといけますねえ、使えますねえ、といった。