初めて台湾を訪れたのは約30年前。その後、仕事やプライベートで何度も訪れ、今ではすっかり台湾通という料理家の山脇りこさん。台湾愛があふれるがゆえ、より多くの人に台湾の魅力を知ってもらいたいと、ガイド本『食べて笑って歩いて好きになる 大人のごほうび台湾』(ぴあ)を刊行。
台湾では1日8食(!)という食べっぷりの山脇さんが、台北で必ず食べる「水餃子」と「豆花」のおすすめ店と、台北フードが美味しい理由を『食べて笑って歩いて好きになる 大人のごほうび台湾』より、抜粋掲載してご紹介します。写真もすべて同書より転載。
福建・広東から。そして日本へ。
台北の書店でのイベント終了後、感じのいいおじいちゃんがやってきて日本語で教えてくれた。「なんで、こんなに、なんでもおいしいのでしょう?」と私が言っていたから。「歴史がその理由です」と。

17世紀、大航海時代、原住民が暮らす台湾にオランダがやってきて(※1)、当時の明と戦い、現在の台南に築城し統治するようになる。
このオランダを追放したのが対岸の福建の雄、鄭成功(※2)だった。最後まで漢民族の明を支持し、満州族の清に抵抗し続けたが敗れ、台湾へ侵攻したのだ。ところが結局、鄭政権は清に倒され、福建省台湾府となり、その後、台湾省になる。この17世紀から19世紀中頃までに、福建省南部(福佬人)や広東省北部(客家)の漢民族が台湾へ多くやってきた。
しかし清は、1895年、日清戦争後の講和条約で台湾を日本に割譲する。以来、50年間もの長きに渡り、台湾は日本により占領統治される。
中国大陸から、
あらゆる地域の味がやってきた。
そして1945年、日本の敗戦により中華民国となった台湾には、中国大陸全土から新たに人々がやってくる。彼らの中には、台湾がどこにあるかさえも知らず、北部や内陸から送られた者も多かったという(※3)。
さらに、1949年、内戦に敗れた蒋介石の国民党政権がまるごと台湾へ逃れてくる。この2段階の中国大陸からの移住者(約100万人)は外省人と言われるようになる。彼らは出身地もさまざまだった。
中国大陸には毛沢東率いる中華人民共和国が生まれ、台湾海峡をはさみ対峙することになった。その後30年以上に渡り、誰も中国大陸へ帰ることはかなわなくなった。
