戦国時代「兵糧攻め」の兵士たちを生かした、驚きの食べ物

最強の非常食?

なぜ生き延びたのか

「腹が減っては、戦はできぬ」という諺さながら、城をめぐる戦いは、食糧をめぐる戦いといっても過言ではない。百姓から天下人まで上りつめた豊臣秀吉も、城内への食糧の輸送経路を遮断し、飢餓状態に追い込む「兵糧攻め」が得意だったことで知られている。

姫路城(Photo by gettyimages)

豊臣秀吉が指揮をとった戦い「第二次鳥取城攻め」(1581年)は、別名「鳥取の飢え殺し」と呼ばれる。周辺の商人から米を高値で買い占めて補給ルートを完全に絶ち、4ヵ月にわたって飢餓地獄を続けた。

開城後、空腹のあまり、配給の米を食べた兵士が次々と胃痙攣を起こし、半数以上が死亡したという悲惨な記録も残っているほどだ。

それにしても、城内にある食糧は1ヵ月程度で底を突いたはずなのだが、その後、閉じ込められた者たちはどうやって飢えを凌いだのか。

 

実は、城には食糧以外の非常食が用意されている。それが、周囲に植えられている松だ。松には、樹脂を多く含む皮があり、それを剥くと、白い薄皮が付いている。この薄皮は脂肪やたんぱく質を多く含んでいるため、非常食として重宝された。

もちろん、調理をして美味しく頂くこともできる。皮を臼でついた後、水に浸してアクを抜き、乾かして餅にした「松皮餅」は栄養価が高く、腹持ちもよいと戦国時代に人気の軽食だった。

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