"サイエンス365days" は、あの科学者が生まれた、あの現象が発見された、など科学に関する歴史的な出来事を紹介するコーナーです。
1886年の今日(1月29日)、世界的に有名な自動車メーカー「メルセデス・ベンツ」の基礎をなしたカール・F・ベンツ(Karl Friedrich Benz、1844-1929)によって、世界ではじめての乗用車の特許が出願されました。
その車は、ベンツ・パテント・モトールヴァーゲン(Benz Patent-MotorWagen)。自力走行するよう設計された世界初の自動車といわれています。
カール・ベンツの生い立ち
カール・ベンツは、1844年に、ドイツ南西部のバーデン大公国(現・バーデン=ヴュルテンベルク州)のミュールブルクに、鉄道機関士の子として生まれました。

早くに父を亡くし貧しい環境の中で育ちましたが、教育熱心な母親のおかげで、ギムナジウム(進学者向け中等教育機関)を経て、ドイツの工学系大学の名門「カールスルーエ工科大学」(Karlsruher Institut für Technologie:KIT)に入学しました。ギムナジウム時代から成績優秀で、大学では機械工学や内燃機関を専攻しました。
大学卒業後は、さまざまな工場で機械技術者として経験を積み、27歳(1871年)のときに独立、翌年には後に強力な助っ人ともなる伴侶、ベルタ・リンガー(Bertha Ringer、1849–1944)と結婚しています。

カールはそのころに、「燃料制御弁(スロットル)」「点火プラグと点火装置」「キャブレター」「クラッチ」「ギアシフト」「水冷キャブレター」、そして「2ストロークエンジン」などを開発していきました。
自動車発明に至る経緯
1883年、融資を受けていた銀行の勧めで他業種の会社と合併させられたカールは、工作所を手放し、知り合いの自転車修理店経営者とともに、新たな会社“Benz & Cie.(Benz & Company Rheinische Gasmotoren-Fabrik)”を立ち上げました。
産業用エンジンの生産などで会社は成功し、カールには再び研究・開発の余裕ができてきます。彼はかねてより「自力走行する車両」を作る、という夢を温めていたのです。
そして完成した試作品は、馬車のような木製の車輪ではなく自転車のようなワイヤを使った車輪を履き、カール自らが設計した4サイクルのエンジン2台を装架した、後輪駆動の3輪車でした。これこそ、最初の自動車※といわれる「ベンツ パテント モトールヴァーゲン」(Benz Patent Motorwagen)です。
※内燃機関の車は、1870年にジークフリート・マルクス(1831 –1898)による「ファースト・マルクス・カー」などの先例があり、同年にはダイムラーの「モートル・キャリッジ」が登場しているが、荷車や馬車に動力源を組み合わせたもので、トータルで車として設計されたものではなかった
こうして1886年の1月29日、モトールヴァーゲンの特許が出願され、同年11月に成立しました。

モトールヴァーゲン初号車諸元
- 搭載エンジン:ベンツ954cc単気筒4ストロークエンジン、コイル式点火器装備 2台搭載
- エンジン出力:250rpmの回転時に出力が2/3馬力 (0.50 kW)
- エンジン重量:約100kg (220 lb)
- 放熱装置:水冷(自然対流式冷却)
- 燃料気化:毛細管現象による自然気化
- 動力伝達:ギヤチェーンによるベルト式(1速で変速ギヤ無し)、後輪駆動
- 車輪:鋼鉄製のスポーク、ソリッドゴムタイヤ

当初は、操縦方法などに問題があったモトールヴァーゲンですが、改良が加えられて、1887年には3台の試作車が登場しました。
妻ベルタの大活躍と、モートルヴァーゲンの市場デビュー
当時、自動車は荷車や馬車に機関を載せただけのもので、通行する牛馬を驚かす邪魔な乗り物、と思われていました。
そこで、カールの妻ベルタは、自動車が有用なものであることを世間に知ってもらうため、夫が寝ている間に試作3号車を持ち出して里帰り旅行に出たのでした。往復で200km近くにおよぶこの旅行で、彼女は「初の長距離自動車旅行者」「初の女性ドライバー」という2つの「初」を手にしています。
旅行中の彼女は、給油のために薬局で染み抜き用ベンジンを購入し、下り坂ですり減ったブレーキブロックに皮を貼り付けるために靴屋に立ち寄り、気化器の不調では帽子のピンや靴下留めの絶縁材を用いてピンチをしのぎました。急登では自力走行ができず、おおいに苦労します。
こうした彼女の経験は、ブレーキブロックへの摩擦材の追加や、登坂時でも走行できる変速ギヤの追加など、夫への貴重な改善アドバイスとなりました。

妻ベルタの意見が反映され、より改良されたモトールヴァーゲンは、1889年のパリ万国博覧会(Exposition Universelle de Paris 1889)で大絶賛を浴びます。これをきっかけに、伸び悩んでいた販売台数は飛躍的に高まることになったのです。
後世に与えた影響
本格的長距離レースの火付け役となった1894年のパリ・ルーアン自動車競争に、モトールヴァーゲンの後継車ヴェロ(Benz Velo)が参加しました。これをきっかけに、カールは自社の車を積極的にレースに参加させるようになります。
関連の日:6月11日 世界初の本格的長距離自動車レースが開催(1895年)
こうして“Benz & Cie.”は大企業へと成長していきますが、カールは1903年に第一線を退き、個人ブランドを新たに立ち上げ、好きな設計だけに専念したということです。