大学1年、渋谷の入り組んだ所にあるギャラリーがなかなか見つからず、道端に立ってる居酒屋の店員に道を尋ねた。「赤…レッド! レッドの看板の所!」。気を使ってくれたのか、でも赤→レッドと言い換えたところでそのカタカナ英語は日本語だよなぁ、と考え続けてたらギャラリーで見た作品については忘れた。大学2年生の時、台湾のハーフのクラスメイトと美術館に行き私の顔を見た受付の人の対応が英語になった。美術館で見た作品については忘れた。

「初めまして、田村なみちえです」。初対面でのコミュニケーションはとても苦手だ。最初の一言で私と相手とが今後どんな関係になっていくか大体想像できるから。
「田村wwwwwww」「その苗字、おかしいんじゃないのか?」「名前、カタカナじゃないんだ」。日本人が日本的生活に基づいた現実世界を生きていて、そのなかで除け者みたいに扱われるのが前提の私には、常に外国人としてのレッテルが貼られる下準備がなされている。相手の偏見が的外れであること、そのせいで見た目と中身のギャップを埋められないことがどうしてもストレスになって対人関係がどんどん億劫になっていった。
見た目より、どんなことをしている人なのかで興味を持ってもらいたいという思いが、大学で現代美術・コンセプチュアルアートを勉強する原動力になっていたが、クラスメイトからも挨拶が「ナマステ」とか「なみちえの隣で写真に写ると自分の肌が白く見えるから嬉しい」とか「成人おめでとう。アフリカで成人式したの? バンジージャンプ?」とか、私自身が培った言語的センスではまったく面白いと思えないような言葉を投げかけられ、当時の精神は完全に疲弊していた。