2020.02.04

「この世界の片隅に」で主人公が振るっていた竹槍が意味するもの

死のロマンにとりつかれた人々
一ノ瀬 俊也 プロフィール
 

特攻兵器「桜花」は竹槍である 

しかし、である。戦時中の竹槍は戦争の狂気や非合理性、そして陳腐さのシンボルであり、誰も本心では相手にしていなかったのだろうか。私はそうは思わない。

戦争中の日本軍が使った悪名高い特攻兵器に「桜花」という一人乗りのロケット飛行機がある。母機に積んで敵艦隊上空で切り離し、搭乗員が操縦して敵艦に体当たりする飛行機だが、「桜花」を積んだ飛行機のスピードと運動性は著しく低下してしまう。そのため、多くの「桜花」は敵艦隊にたどり着く前に米軍戦闘機の迎撃で撃墜されてしまった。

歴史小説家の山岡荘八は、戦争中海軍の報道班員として書いた新聞記事のなかで、「桜花」を「竹槍」にたとえ、「神雷兵器〔「桜花」を指す〕とは、そのような恐るべき日本人の生んだ竹槍なのである」「私が敢て竹槍というのは、この武器もまた竹槍をひっさげて敵陣に斬り込む─その捨身の精神と同じ精神につながる」と書いている(『読売報知』1945年7月1日)。
 
山岡のみるところ、(使用法はともかく)機体自体は科学技術の結晶である「桜花」は、竹槍と並ぶ日本人ならではの精神力の結晶でもあった。このことは、山岡にとっての戦争が、技術力(飛行機)と精神力(竹槍)の両方をあわせて戦い、そして勝つべき戦いであったことを意味する。この考え方を狂っているとか、ただの空虚な宣伝であると切り捨てるのは簡単だが、そんなことをしても意味はない。
 
私は、少なくとも戦争中の山岡は、技術力に対する精神力の拮抗もしくは優位を本気で信じていたと思っている。彼にとってこの戦争は竹槍で勝てるし、また勝つべき戦いだった。問題は、戦後の山岡がそのことについて口をぬぐい、何も語らなかったことだ。
 
冒頭で述べた、『この世界の片隅に』のすずは、8月15日の玉音放送を聞いて、喜ぶどころか号泣する。彼女は「最後のひとりまで戦うんじゃなかったんかね?」「いまここへまだ五人も居るのに!」と怒りにふるえながら叫ぶ。

夢を奪われて号泣するすず 

すずは、本土決戦で家族や近所の人々とともに、本気で竹槍を持って突進し、死ぬつもりだったのだ。彼女が死ぬ気でいたのは、連日の昼夜を問わぬ空襲で精神的に追い詰められたうえ、右手と姪を失い、実家は原爆で安否不明、これだけ苦しい思いが続くならいっそみんなで美しく死んで楽になりたい、と考えていたからだと思う。

射撃訓練する婦人会の女性(『銃後の戦果』)

一人で死ぬのはこわいけれど、みんなで死ぬなら怖くない。来たるべき本土決戦における、いわゆる一億総特攻による死は、もはや夢やあこがれの対象であった。玉音放送はそれらをこっぱみじんに打ち砕くものだった。すずはそのことが悔しくて泣いたのである。

作者のこうの史代自身、すずの涙について「終戦で泣くのは、家族や家のみならず、夢を失った悲しみだと思った。夢とはこの時点ではすでに「勝つ事」ではない。「正義を抱いたまま死ぬ事」だ」と書いている(こうの『平凡倶楽部』)。
 
すずはフィクション上の人物だが、人々の号泣はけっして虚構ではない。1945年8月の日本には、敗戦を知って号泣した人がそれなりの数いたからだ。彼/彼女らにとっても一億玉砕は夢であり、竹槍はそのシンボルだった。
 
しかし戦が終わった以上、一億総特攻による死ははかない夢と化した。すずは、すぐにそのことに気づいて泣くのを止め、映画版では「海の向こうから来たお米や大豆」に思いを馳せる。それは、今日も明日も食べて、命をつないでいかねばならないことへの気づきである。いちど甘美な死の夢から醒めてしまえば、竹槍は悪夢、狂気のシンボルでしかない。我々は竹槍の記憶をそのようなものとして引き継いでいる。

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