2020.02.04

「この世界の片隅に」で主人公が振るっていた竹槍が意味するもの

死のロマンにとりつかれた人々
一ノ瀬 俊也 プロフィール

日本再武装は竹槍でよい 

では、敗戦後の日本人にとって、竹槍は戦争の悪夢のシンボルでしかなかったのだろうか。必ずしもそうではない。戦時中、(西欧)近代批判や古代賛歌的日本主義を唱えたことで知られる文学者の集団・日本浪曼派の一員だった保田與重郎(やすだ・よじゅうろう、1910年~1981年)という人がいる。保田は戦後の1950年から51年にかけ、当時の日本で盛んに繰り広げられていた、再武装のありかたをめぐる論争の中で、以下のように竹槍にふれている。

恐らく近代に対するアジアの抵抗とその自衛戦の様相は、近代兵器に対する竹槍という形が、ふさわしく現しているであろう。これに同情する者は、再武装の空しきを悟るべきである。これを軽蔑するものは、再武装の無意味さを痛感すべきである。(「再武装論者に云う」1950年)

国防は信念に立脚する。信念のゆきつくところは、わがアジアに於ては、竹槍がこれを象徴している。竹槍は「侵略」用としては今日不可能な兵器だが、国防の極地の信念の象徴である。(「竹槍と「必敗の信念」」1951年)

ちなみに日本の再武装については、1951年に警察予備隊が、その3年後の54年に自衛隊がそれぞれ設立されている。
 
保田が日本の再武装は竹槍でやるべきだ、と述べたのは、近代兵器による再軍備は現実味がない、なぜなら「日本の事情として、事実の上で結局近代戦兵器は、日ならずして後援つづかず、竹槍におちつく」(「再武装論者に云う」)からだ。つまり、日本が今後再軍備するにしても、国力上大量の近代兵器の調達は無理であるから、竹槍で充分だというのだ。保田にとって、それは祖国日本の逃れようのない「運命」であった。
 
保田は明言こそしていないが、将来の日本がまんいち外国から侵略された場合、日本人はアジア的信念の象徴である竹槍とともに死ねばそれでよいのだ、と言っているように、私には思える。そうでないと、保田の竹槍再武装論は一個の思想としてシャキッとしない。
 
まさにこれと同じことを、戦争中の保田も考えていたのではないだろうか。保田にとっての太平洋戦争とは「共産主義とアメリカニズムを一ぺんに倒す」ための戦であり、「この浪漫主義の戦いに当たっては、兵力も総力戦思想も必要でない、自分一人一人で行える戦争であり、行うべき戦争」であった(『現代畸人傳』)。

西欧由来の近代兵器などはどうでもよかったのである。「自分一人一人」の前に「竹槍で」と付け加えてもよい。

一億総特攻という甘美なロマン

戦争中の保田の考えとは、近代、より詳しくいえば共産主義とアメリカニズムの繰り出す飛行機や戦車といった近代兵器に蹂躙されるくらいなら、いっそアジアの象徴である竹槍をふるって美しく死ねばよい、というものではなかったろうか。橋川文三は日本浪曼派の活動について「それはいわば「敗北」の必然に対する予感的な構想でさえあった」と書いている(『日本浪曼派批判序説』)。

保田にとっての竹槍と一億総特攻による死は、「敗北」というか滅びの美学、ロマンの極地であり、ゆえに好ましいものであった。

こうした滅びのロマンへのあこがれは、保田一人のものではなかった。たとえば、『この世界の片隅に』が参考文献に挙げている、作家の田辺聖子『欲しがりません勝つまでは』には、次のような回想がある。

その年〔1944年〕の夏休みに、私は『最後の一人まで』という小説を書いた。アンガマダ王国(架空の国である)はアメリカ軍によって攻撃されるが、老若男女、子供まで銃をとってたたかい、抵抗する。アンガマダ義勇軍のリーダーは、若い軍人であるが、死力をつくして敵を防ぎとめ、それでも降伏しない。/隊長は、国民に訓示するのである。/「『この戦争は絶望です。我々には死しか、残された道はない。しかし我々は死によって誇りを守り、祖国と王を守るのです。戦って戦いぬきましょう。撃ちてし止まんです。最後の一人まで戦うと言うことは、限りなくも尊く、正しいことなのです』」/そうして、国民全部、悲壮な死をとげる。/それは、日本に二重うつしになっていた。

とある。1928年生まれ、大阪の女学生だった田辺もまた、死へのロマンにとりつかれた人であった。ただし、彼女が周囲からちょっと変わった子とみられていた点にも留意すべきではあるが。
 
以上をまとめると、竹槍(と一億総特攻による死)は、永井荷風のように、戦時中の日本人にとって嘲笑の対象であった。だが同時に、夢やロマンの象徴でもあった。そのことは事実として認めるべきである。我々とて、あの時代に生きていればこの甘美なロマンにとりつかれていた可能性が高い。戦いを駆動する力としてのロマン、これを無視して戦争を語ることはできない。

拙著『特攻隊員の現実』(講談社現代新書)では、軍や政府による一億総特攻のかけ声のなかで、一般の庶民が特攻や本土決戦についてどう考えていたのかを論じた。意外と多くの人びとが降伏は想定外であったと述べていたし、本土決戦が未発に終わったことを残念がる人も少なからずいた。彼/彼女らもまた、死のロマンにとりつかれた人々であったと思う。

【参考文献】
田辺聖子『欲しがりません勝つまでは』(ポプラ文庫、2009年)
橋川文三『日本浪曼派批判序説』(講談社現代文庫、1998年)
『保田與重郎文庫29 祖国正論Ⅰ』(新学社、2002年)
  「再武装論者に云う」(1950年11月)
  「竹槍と「必敗の信念」」(1951年2月)
『保田與重郎文庫16 現代畸人傳』(新学社、1999年)

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