そして、データの活用がその段階に至ったとき、データは私たちひとりひとりにとって「自分で守って使う財産」になっていくと考えています。つまり、データをどのように使うかが、私たち自身に委ねられているということです。
自分の生活上の行動に関するデータを、ある企業のあるサービスに対して提供するか、しないか。もし提供するとしたら、どの段階まで提供するのか。そして提供したことによって、どのようなサービスを受けようとするのか。自分のパーソナルなデータをどのように管理して使うかは、本人の意志と選択次第です。
だからこそ、データを提供するユーザーは、自分に関するデータを管理しているという意識や、データについての知識を身につけなくてはなりません。
他方、データを取り扱う企業の側も、個人情報のデータの扱いについてよりセンシティヴになる必要があります。データを私たちの生活にとって有益なものにするには、データを提供する人々も、それを使う企業も、どちらも成長しなくてはならないのです。

データに使われてはならない
インターネットの業界に限らず、今はどんな企業でも何らかのビッグデータを保有している時代になりました。近い将来、ビッグデータをビジネスで扱ったり自分で分析したりする人はますます増えていくと思いますが、最後にお伝えしておきたいことがあります。
機械学習、ディープラーニングなどの技術の開発が進み、ビッグデータを解析するためのツールが誰でも手軽に使えるようになってきました。それらにログデータを放り込んでみると、自動的に解析が行われ、何らかのそれらしい結果が得られます。
ただし、それを過信することは危険です。得られた結果は、一見それらしいものになるかもしれませんが、専門家が見るとまったく的外れで不正確なものである場合も多くあります。
ビッグデータそれ自体は、大量の数値の羅列にすぎません。それに価値を与えるには、そのビッグデータが何を言わんとしているものであって、ビッグデータ自身がどのような特性を備えているのかを知る必要がありますが、とても難しく大変です。ビッグデータは、仲良くなるまでが一苦労なのです。
そしてデータとは、人々の生活に役立てるための道具に過ぎないわけですから、その道具に人間が使われるということがあってはなりません。多様な道具が揃ってきたぶん、その本質を理解していない危険な分析も増えてきているのです。
今後、ビッグデータが重要性を増す時代を迎えるからこそ、ひとりひとりがデータについての知識やリテラシーをしっかりと身につけておかなくてはなりません。