東京五輪ユニフォーム発表、やっぱりモヤモヤするいくつかの理由

本気度が見えてこないJOCの選考
安城 寿子 プロフィール

しかし、かつてない自由な条件設定であったにもかかわらず、選ばれたのは、ロンドンやリオの配色を上下反転させた白いジャケットに赤いスラックス(女子はキュロットスカートも選択可)の組み合わせ。選に漏れたデザイン案にどのようなものがあったかは分かりませんが、結果的に見て、作製アイテムをめぐる大幅な条件の緩和は意味を持たなかったようです。

 

日の丸カラーという「伝統」

ここで、赤と白のいわゆる日の丸カラーとはどういうものであるかを確認しておきましょう。

よく知られる通り、日の丸カラーの公式服は前回(1964年)の東京大会で初めて登場しました。デザインを手がけたのは東京神田で注文紳士服店を営んでいた望月靖之(注7)

日本にとって戦後初参加となるヘルシンキ大会(1952年)のために彼が紺とグレーの公式服をデザインしたところ、昭和天皇の弟である秩父宮から「日本らしさが表現できていない」という趣旨の指摘を受け、さらに、「よく歴史を調べて日本の色を表してみてはどうか」との助言を賜ったことから生まれたものです。望月は、「我がヒノモトの国」という歌舞伎の台詞にインスパイアされ、「日本」という国号と太陽の結び付きに注目し、その太陽をモチーフにした日の丸の色こそ公式服に表すべきだと考えたのでした。

こうして見出された日の丸カラーは、その後も、各時期の流行や服飾の変化を踏まえたアレンジとともに受け継がれていきました。いずれも女子選手用公式服の例ですが、メキシコ大会(1968年)における赤いミニスカートやソウル大会(1988年)におけるパッドで肩を強調したダブルの赤いブレザーなどはその一つです。

また、バルセロナ大会(1992年)では森英恵が、アトランタ大会(1996年)では芦田淳が、日本らしさを日の丸に求める基本路線は踏襲しつつ、赤と白の上下という「型」に縛られない公式服を手がけました。

アトランタ五輪の公式服〔PHOTO〕Gettyimages

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