肺炎などの感染症を引き起こす新型コロナウイルスが、中国の武漢を中心に世界各地へ広がっている。そんな中、WHO(世界保健機関)は1月30日に「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」を宣言した。
この記事を書いている2月9日現在、日本国内の感染者数は、集団感染が確認されたクルーズ船を含めると90人ほどになり、日本以外のアジア・オセアニア諸国にも感染が広がっている。私たち家族が住むオーストリアにはまだ感染者が出ていないが、欧州や北米でも、ドイツやアメリカを筆頭にフランス、イギリス、カナダなど人の行き来の多い地域を中心に感染者が増えてきている。
このように世界的に感染が拡大する中、私は外を歩くことや子供を学校や幼稚園に通わせること、また欧州周辺に出張に行くことが日に日に怖くなってきている。だがその怖さの大部分は、感染に対してではない。感染の拡大に伴い表面化する「人種差別」への怖さである。
すれ違いざまに「ウイルス」と呼ばれる
前述のように2月9日現在、オーストリアにはまだ感染者は出ていない。それにもかかわらず、オーストリア国内では、「ウイルスを持ち込むなとスーパーマーケットで暴行を受ける」「子供が学校で嫌がらせを受ける」「バスで子供がコロナウイルスと叫ばれる」など、中国人に対する「攻撃」事例が続々と報告されている。
このような「攻撃」事例は中国人に限らずアジア人全体に対して欧州各地で起こっている。アジア系の人がすれ違いざまにウイルスと呼ばれるといった事例は各地で多数報告され、ネット上でもアジア系の人が皆ウイルス源であるかのような書き込みが相次ぎ、フランスでは、「#JeNeSuisPasUnVirus(私はウイルスではない)」というツイッターのハッシュタグがトレンド入りする事態となっている。

ここで確認しておくが、これらの「攻撃」は感染への警戒という範囲を超えたものばかりである。まず、多様な出自の人が生活する現在の欧州で、アジア系という括りで見境なく警戒してしまうこと自体が一線を超えた反応である。また、仮にアジア人からの感染を警戒する場合であっても、暴行を加える必要もウイルスと叫ぶ必要もないし、事実と異なる情報をネット上に拡散する必要もある訳がない。