軍事産業ともつながりを持って
テック博物館を訪ねた翌日には、サンノゼの北側に位置するマウンテンビューのグーグル本社があるグーグル・プレックスでサンマテオカウンティ・シリコンバレー観光局プレジデント&CEO、ジョンM. ハーター氏と待ち合わせした。
ハーター氏は日本のホテルでも働き、20回以上来日した日本の事情にも精通している人物だ。
「シリコンバレーでベンチャー企業が成長を続けているのは、スタンフォード大学の功績が大きいと思います」
スタンフォード大の正式名称は、「リーランド・スタンフォード・ジュニア大学」。
鉄道王のリーランド・スタンフォードとその妻、ジェーン・スタンフォードが、1885年12月に、その前年に亡くなった一人息子の名前を残すために創設された。
リーランドは「立身と実学」を掲げ、大学での研究と地域社会の産業を一体化することで世界でのトップクラスの大学を目指した。
そのため大学教授たちは産業界や政界のリーダーとの関係を長く続けることが奨励され、学生は身に着けたことが実社会でどのように生かせるかを経験者から学べる。

“シリコンバレーの父”と呼ばれるフレデリック・ターマンが工学部の教授になってからは、ハーバード大学などから人材をハンティングし、無線研究などを充実させ、“西のMIT(マサチューセッツ工科大学)”を目指して軍との関係を強化。イノベーションで世界をリードできるよう卒業後には起業をすることを奨励。
1964年には産業と密接な関係をつくるために大学初の工業団地「スタンフォード・インダストリアルパーク(現スタンフォード・リサーチパーク)」構想を打ち上げ、ゼネラル・エレクトリック、ロッキードなど当時の発展途上の企業に土地を提供して企業との連携を強化した。その数は現在150社に上っている。
「ベンチャーのパイオニアになったのはヒューレットパッカードだったのではないだろうか」(ハーター氏)
ターマンのもとで学んだウィリアム・ヒューレットとデヴィッド・パッカードは、ヒューレット・パッカードを創業、米国を代表する計測機器メーカーに育て上げた(その後、PC分野などに進出)。ちなみにヒューレットパッカードもスタンフォード・インダストリアルパークに拠点を置いている。
このほかにもスタンフォード大で物理学の学士号と修士号を習得したラッセル・バリアンとその弟のシガード・バリアンが、同大学の研究室でクライストロン管(マイクロ波用の真空管)を発明、バリアン・アソシエイツを創業した。
バリアンは1956年に、ヒューレット・パッカードは1957年に株式公開した。これが呼び水となってシリコンバレーに投資家が殺到。1958年の中小企業庁が民間投資会社に中小企業投資会社(ABIC)の免許を与えて小規模ベンチャーの資金援助をさせたことが、ベンチャーキャピタリストの刺激策となった。
このほかにも創業者がスタンフォード出身の企業は、シスコシステムズ、イーベイ、イー・トレード、グーグル、ナイキ、オービック、サン・マイクロシステムズ、ヤフー、インスタグラムなどがある。