国民党の苦境
国民党は、権威主義体制期そして民主化転換期を通じて長らく一強政党としての地位を維持してきたが、2回連続して敗北し政権が遠くなった。
国民党は、その正式名称である中国国民党という党名が示すように中国大陸に起源を有し、中国ナショナリズムをイデオロギーとしている。
第二次世界大戦後に中国共産党との内戦に敗れた中国国民党は、中華民国という体制ごと台湾に逃げ込んだ。蒋介石とその子蒋経国は共産党との戦いを続けるため、台湾の政治経済構造の基軸を「反共親米」に定め、厳しい支配体制を強いて中華民国体制を台湾で維持した。その中華民国体制は李登輝時代に民主化し台湾化したが、「反共親米」の構造は変わっていない。
国民党は2005年に国共提携路線に転じたのを契機に、しだいに中国共産党に取り込まれるようになった。
中国の視点からすれば、台湾統一を進めるため台湾の権力の柱である国民党を、2005年の胡錦濤連戦会談から2015年の習近平馬英九会談まで10年かけてじわじわと取り込み、成果を上げたということになる。
しかし、中国共産党にとっての成果の代償は、国民党が台湾社会で支持を減らしたことである。台湾の有権者は国民党がしだいに共産党に対抗できなくなってきたことを見抜いた。
それが現れたのが2014年の「ひまわり学生運動」であった。その流れで国民党は2016年選挙で歴史的敗北を喫する。そして4年後の今回、国民党の韓國瑜候補の政見は、変化した国民党の立場をよく物語っていた。
国民党のコアの支持者は、台湾アイデンティティが定着した台湾社会の現状に疎外感や違和感を抱いている。その流れを逆転したいという国民党支持者の焦りが韓國瑜という異色の候補の擁立につながった。韓氏は、中国との交流拡大を公約に掲げ、中国の経済発展に一層深く加わることで台湾経済が発展するという繁栄の論理を語った。
しかし、習近平が台湾統一への圧力を強め台湾の自立が脅かされていることについては何も語らなかった。韓氏は香港の大規模抗議行動に対しても当初はあいまいな発言に終始した。
そして韓氏は、「蔡英文政権は反中親米一辺倒」であるとして「米日中からの等距離」を唱えた。米中の間での「等距離」という概念は、日本ではあるいは支持する声もあるかもしれないが、台湾においては「親中」を意味し、戦後台湾に深く刻まれた「反共親米」路線を変えることになる。韓氏と国民党の路線が、台湾の主流の民意から警戒され支持を伸ばせなかったのは自然な流れであった。