異例のスピード出世
明智光秀は謎の多い人物だ。前半生は全く不明、中年で史実に登場してからも謎は多くその異様な早さの出世は、彼の謎の中でも特筆すべきものだ。
例えていうと五十歳で三菱商事に課長待遇で中途採用されたロートルが三年後には筆頭取締役になっているようなものなのだ。
織田信長という拡張主義的な超合理主義者をトップに頂く組織での異様な早さの出世。史実からは……光秀は頭脳明晰で高い教養を身につけ人心掌握にも長けていたことが分かる。
ビジネス観点からは、そんな光秀の論理的思考の枠組みとそれを支える心理的基盤はどのように形成されたのかが重要になる。

筆者は光秀の前半生、光秀が光秀となる原初的蓄積の場に泉州・堺を選んだ。当時の堺は港を持つビジネスの中心都市、日本全国はもとよりアジア・ヨーロッパとの貿易によって商業が栄え、富裕な商人たちによって洗練された文化が育まれていた。
古今東西、ビジネスを求める者には自ずと顧客という対人思考が生まれる。相手がどんな未知の人間〈他者〉であろうと利益の潜在性を見出せば顧客となる。そしてそれは顧客志向という思考の広がりを生む。
「ビジネスにおいて……相手はどんな存在か。相手のニーズは何か。相手を満足させ結果として利益を得るにはどうすれば良いか」
顧客志向は戦略的・戦術的な思考とプロアクティブ(前向きで積極的)な行動態度を自然に身につけさせる。