コロナ危機の深層〜「批判を避ける」ために、他人を煽っていませんか

信頼を失っていく言論
與那覇 潤 プロフィール

こちらは一見すると「批判を怖れない」スタイルに見えますが、実際には逆です。とくに日本では一度「キャラ」を確立してしまうと、そのキャラの特性の範囲内ではみんな諦めて、なんでも許容する文化がある。悪いけど俺は毒舌キャラだぜ・遠慮せずぶっちゃけるぜ、とあらかじめ言っておけば、極論を主張することは本人にとって「安全」なのです。

その証拠に、彼らはコロナ騒動の前に沈黙しています。ふだんの主張を敷衍すれば、「ウィルスに強い遺伝子を持つ人間は現にいる。そうした人は十分生き残る」・「いまこそ全国民にGPSを装着させよ。私生活すべてを公権力が把握して接触感染を防げ」と唱えるのが理に適うにもかかわらず、そうはしない。さすがにそれは叩かれるからです。

社会的に公認済みの「正しい」ポジションだけをとり続ける無難型と、おとぎ話の世界でのみエッジの効いた姿勢を続け、いざ現実になりかねないとみるや遁走する露悪型。両者は実は「自分が批判されないこと」を最優先に行動を決めている点で、双子の関係にある。それらは平時の余興にすぎず、危機にあってはまったく役に立たない言論にすぎないことを、コロナウィルスは明らかにしたと言わざるを得ません。

 

今度こそ、危機の後によみがえるために

日本での危機の本格化が3月だったこともあって、今回のコロナパニックから、9年前の福島第一原発事故後の混乱を思い出した人は多いでしょう。このふたつには、共通点と相違点の双方があります。

共通点は、それぞれ放射能/ウィルスという「目に見えないもの」が恐怖の原因となっていること。マスメディアやSNSでデマも含む風説が流布し、便乗して危険を煽るビジネスに手を染める識者がいること。「こんなときに不謹慎だ」と意に沿わない周囲の言動を非難して、安心感を得ようとする風潮が、社会の雰囲気を委縮させていることです。

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