2020.04.05
# エンタメ

70年代のちびっこたちが、俺たちの「志村」の軍門に下った日

だから「志村」はこれからも生き続ける
松永 多佳倫 プロフィール

志村、覚醒前夜

1974年4月1日からドリフに加入した志村は、ここから2年間ほとんどウケることはなかった。あの荒井注の代わりに入ってきた訳のわからない奴がいくら身体を張ってギャグを繰り出しても、チビッコはクスリともしなかった。テレビの前のチビッコは、ニューヨークの辛辣な批評家たち以上に志村を厳しく見ていたからだ。

「どんな面白いことをやってくれるんだよ」「つまんねーことやったら、もう観ねえぞ」

チビッコたちは腕組みしながらテレビの前にいた。

 

荒井注はハゲ面で腹が出て、どこからどう見てもおっさんキャラでわかりやすかった。加トちゃんは誰もが認めるハンサムであり、どこかおぼっちゃま風で愛嬌ある顔立ち。いかりや長助は唇おばけ、仲本工事は体操メガネ、高木ブーは高木ブー、まだ雷様ではない。

でも志村には子供にもわかりやすい個性がなかった。目鼻立ちがくっきりし、加トちゃんとは違ったタイプのハンサム。チビッコ目線だと、背も高く見え、顔が良く、お笑い芸人らしく見えなかったこともマイナスだった。

24歳で“坊や”から人気絶頂のドリフのメンバーに大抜擢されたといえ、そんな無個性の若者のギャグを笑ってあげるほど、チビッコは寛容ではない。チビッコは時に残酷である。あまりにも面白くないため、次第に痛い奴に思えたほどだ。

加トちゃんと同じことをやってもバイアスがかかっている志村では笑えない。毎週月曜日に学校に行けば、午前中は『全員集合』の話で盛り上がるのが通例で、どんな場面が面白かったかを互いに言い合うことが楽しかった。

ところが、志村が加入したばかりの頃は、「志村、全然面白くないんだけど」「あいつ、なんで入ったんだよ!」「あちゃーのほうがずっと面白いぜ」「荒井注、帰ってこねえかな」と批判ばかりしていた。そんな状態が2年間続いたのだ。

やがて転機がやってきた。今さら丁寧に書かなくとも誰もが知っていることだが、『全員集合』の名物コーナーでもある“少年少女合唱団”で『東村山音頭』を披露し、志村は一躍人気者になった。

チビッコは面白いと思えばなんでも飛びつく。この『東村山音頭』によって、名実ともに志村はドリフの一員として認められたのだ。

とにかく、チビッコは志村が一丁目を唄うのをいつも待ちこがれた。バレリーナの格好で股間に白鳥の首を付けた志村が叫ぶ「♪いっちょめいっちょめ、ワァアアオー」が大好きだった。そんな志村を見て、チビッコたちは股に白鳥の首を付けたるバレリーナの服が欲しいと親に駄々をこねたものだ。

この頃から、ドリフファンのチビッコの間で確執が起こる! 

加トちゃん派と志村派と真っ二つに分かれたのだ。いくら東村音頭で人気者になろうと、加トちゃん派はおいそれと志村を認めない。今までずっと加トちゃんがドリフのエースだった。それがたまたま当たったからってエースの座は渡さないと加トちゃん派は、強固に意地を張った。

毎週月曜日、学校に行けば『全員集合』の話をするのが日課だったチビッコたちは言い合いになった。

「志村はやっぱ面白いよなー」
「いや、やっぱ加トちゃんでしょ!」
「加トちゃんは終わったよ。だって面白くないじゃん」
「なんだ、オメー、加トちゃんがいつ終わったんだよ!?」

志村派から「加トちゃんはもう面白くない」と言われても加トちゃん派は逆ギレすることしかできなかった。加トちゃん派から見ても志村は面白かったからだ。これを“ドリフの南北朝時代”という。

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