2020.04.05
# エンタメ

70年代のちびっこたちが、俺たちの「志村」の軍門に下った日

だから「志村」はこれからも生き続ける
松永 多佳倫 プロフィール

俺たちの「志村」から、みんなの「志村けん」に

正直、『全員集合』の後番組はなんかやっているなという程度だった。『ひょうきん族』が面白くなくなり、どうしようかと何気なくチャンネルをTBSに替えてみると、『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』が流れていた。

志村と加トちゃんの2人がメインになってやるバラエティー番組で、もちろん生ではなく収録だ。前半は、2人が探偵に扮してドタバタやる短編ドラマ形式コント“THE DETECTIVE STORY(探偵物語)”。これが最高に面白かった。

『全員集合』でも『ドリフ大爆笑』でもメンバー最年少ということで志村は常に一歩引いていた立場だった。しかし、この『加トケン』では今まで遠慮がちにやっていた志村が解き放たれたかのように生き生きと動き、それを加トちゃんがサポートする形だった。ドリフの志村から、ひとりのコメディアンとして船出を飾る番組となった。

 

当時のチビッコは、「ドリフなんて全然面白くねえや!」と所構わず叫び、いわばドリフと決別宣言したようなものだった。それなのに今さら『加トケン』が面白いなんて正面切って言えない雰囲気が学校内で漂っていた。しかし、面白いものは絶対に人の意識にまで波及し素直にさせる。

誰かがある日、学校で「なんか志村と加トちゃんがやっている『加トちゃんケンちゃん』おもしれーぜ」と言い出した途端、周りが「いや、俺も観てる」「俺も観てる」となり、実はみんな陰でこっそり観ていたことがわかった。笑いのパワーは凄まじい。瞬く間に『加トケン』ブームが沸き起こったのだ。

“THE DETECTIVE STORY”はゲストも豪華で、若山富三郎、丹波哲郎、あおい輝彦、根上淳、多岐川裕美、星由里子など大物を招いてのドラマ形式のコントだったため、それなりの演技力が必要とされる。だが、どんな大物俳優と絡んでも志村の演技は見劣りするものではなく、むしろ俳優として対等に渡り合うものだった。

だから、あの高倉健が映画『鉄道員(ぽっぽや)』に出演してもらうため、志村に直接電話をしてオファーしたのだろう。映画好きの志村にとって高倉健からのオファーは天にも昇る気持ちであり、「あなたの弟子の高倉健です」と吹き込まれた留守電は、志村は宝物としていつまでも残していたという。

また、名女優大地喜和子は、後輩の若手俳優たちに、「志村けんが扮するおばあさんの演技をよく見て勉強しなさい」と助言していたとも言われている。大物俳優陣からも認められていく志村は、俺たちの志村から、みんなの志村けんになっていった。

数々の名シーンを生み出した“THE DETECTIVE STORY”の中でも、“だいじょうぶだぁ〜教”の回が秀逸で、後の『志村けんのだいじょうぶだぁ』のベースとなる神回でもある。

志村が受験に悩んで自殺しようとした女子高生を助け、三又になっている太鼓を叩きながら「だいじょうぶだぁー」と言って励ますと、後日大学合格の知らせが入る。それがあっという間に噂になって日本中から救いを求めに人々が殺到し、「だいじょうぶだぁ〜教」を創設して教祖となるお話。

放映された翌月曜日の学校は、「だいじょうぶだぁ〜、ウワッ、ヴィワッ、ドュゥヤッ!」をみんなで真似したものだ。『全員集合』がまだ放映されていた頃にあった光景と同じだった。このとき感じたのが、『全員集合』時代のギャグよりも、幾分モノマネしやすくなった気がしたことだ。お笑いで爆発的人気が出るのは、わかりやすいキャラとモノマネしやすいネタがあることだ。

俺たちの志村が帰ってきた思いだった。子供は勝手なもので、一度は簡単に志村を見捨てた。それは、単に飽きたからだ。笑いと同じで理屈じゃない。

俺たちの「志村」は死なない

俺たちにとって、志村けんじゃなくて、やっぱり志村なのだ。「なんだ、こいつ?」と思いながら、最初は名前もよく知らないつまらないあいつを見続け、やがて『東村山音頭』でブレークして「志村、おもしれーじゃん」となった。それから「志村、後ろ後ろ!」の掛け声が後押しするかのようにドリフの頂点に一気に駆け上がった。志村が伝説になっていく瞬間をリアルタイムでずっと見てきたのだ。

伝説を間近に見た者は、一生の宝となる。伝説は人から人へと語り継げられる。でも伝説は聞きたいのではなく、伝説を誕生する瞬間を見たいのだ。

俺たちは、誰よりも厳しい目で志村を見てきた。加トちゃん派、志村派に分かれ、チビッコなりの論争を繰り広げてきた。やがて、みんなが志村を大好きになった。加トちゃん派もPTAのママたちも、彼のギャグで笑った瞬間からすでに志村が好きになっていたのだ。

子供が大人たちを怖いと思っていた時代、母親は鬼婆のように恐ろしく、学校の先生は魔王のような強面の顔ですぐぶっ叩く存在だった。テレビの中にいる大人は、プロ野球選手やプロレスラーだったり、ウルトラマンや仮面ライダーといったスーパーヒーローだった。

そんななか、ドリフが出てきてバカなことをやってケラケラと笑わせてくれた。特に志村はバカなことを一番やり続けた。チビッコからすれば、志村は、大人なのにもかかわらず「バーカ!」と大声で叫ぶことができる、初めての愛すべき大人だった。

志村けんという名の冠番組がたくさんできた。本もたくさん出版した。以前、高木ブーが「なぜ志村の本が売れるの? 数奇な体験だったら俺もあるよ。俺の童貞は2回喪失したんだ」と話したことがある。あの高木ブーがだ。これも志村効果だと思った。

とにかく、志村けんの番組はどれも高視聴率で昭和、平成、令和と続いた。番組は国境越えて放送され、海外にもファンは多い。それでも俺たちにとっては、志村けんじゃなく、「志村」なのだ。

志村けんはもういない。

でも、「なんだ、あいつ」から「志村」になった瞬間を見ていた俺たちにとっては、「志村」は死なない。絶対に死なない。そうでも思ってないと俺たちもおかしくなる。

俺たちの「志村」は、俺たちの中でこれからもずっと生き続ける。

「志村、後ろ後ろ!」

あの頃と同じように、いつまでも叫び続けてやるからな。

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