なぜ講談社は大改革に成功したのか?受け継がれる「野間家のDNA」

大衆は神である(88)最終回
魚住 昭 プロフィール

満洲の出版流通

満鉄は社員総数40万人(1945年当時)。うち日本人14万人で、中国人や朝鮮人、ロシア人を加えた多国籍・多言語の国際企業だった。日本人の新入社員は最初の半年、毎日午前中に中国語の講習を受け、三等通訳の試験に合格してはじめて正式の社員に採用された。

哈爾浜(ハルビン)鉄道局に移ると、省一は朝礼の時間を利用し、ロシア人女子職員の指導でロシア語の日常会話の勉強会を行った。語学だけではない。国際都市・哈爾浜でさまざまな民族の間でもまれた経験が、省一にインターナショナルな視点を植えつけたのは間違いないだろう。

次に紹介するのは、前回ふれた省一の高木義賢あて書簡(1940年4月末付)の後半部分である。その文面をよく読むと、哈爾浜時代の省一の問題意識が浮かび上がる。

満州に於きましても書籍の定価売が最近実施されましたが、一方配達制度が廃止され、一寸(ちょっと)不便を感じて居ります。
満人に読ます満文書籍の問題が福祉施設の問題として考慮されて居りますが、仲々適当なものなく、さりとて上海方面のものは内容を良く検討致しませぬと、反満抗日の記事等掲載されていることもあり、選択に大いに苦労している様であります。日本の政治もこういう方面には案外手がのびていませんので一つの研究問題として探り上てみたいと思って居ります。
実際に於て満人従事員が読みたくても読む書籍が少くて困ると申し居る現状でありますので、日本の国家百年の大計を樹立するには、更に一段とこの方面への努力が要望されるんではないかと愚考致します。
尚色々申上度(なお、いろいろもうしあげたき)こと等ありますが、また御目に掛りました節に譲り失礼申上ます。
皆様に宜しく。
四月二九日
高木省一〉  

まず文中の「書籍の定価売」について説明しておきたい。もともと満洲では日本の書籍・雑誌は日本国内と同じ価格で販売していた。それが「定価売」である。が、運賃がかさむので1936(昭和11/満洲国の康徳3)年から、日本国内の5分~1割増しの「外地定価」で販売するようになった。

 

しかし、この「外地定価」は満洲国政府筋から「日本文化の移入に差し障るのでやめてほしい」との要請があった。それで1939年末、満洲国の書籍・雑誌の輸入と配給を一手に担う満洲書籍配給株式会社(満配)が発足したのを機に、「日満一徳一心」の立場から「外地定価」は廃止と決まり、以前の「定価売」に戻った1

満洲で営業する書店側からすれば、それだけ利幅が小さくなる。だから人件費を削らざるを得ない。そのため、従来は注文があれば、書店員が届ける「配達制度」をとっていたのだが、それを廃止することになり、省一は「一寸不便を感じ」ることになったというわけだろう。

何でもないことのように見えるが、幼時から片時も本を手放したことのない省一にとって、満洲の本や雑誌の流通システムがスムーズに機能するかどうかは重大関心事だった。

省一に限らない。「内地」から遠く離れた満洲で暮らす日本人は、故国恋しさに「内地」の雑誌や書籍を争って読んだらしい。

『日本出版販売史』に収録された元取次業者らの証言によると、満洲での書籍・雑誌の売れゆきは素晴らしく、「返品」(店頭での売れ残り)がなかった。特に、省一がいた哈爾浜から牡丹江のあたりの需要は大きく、「いくら送っても売れ」た。「日本から行っている民間人もそうですが、兵隊がうんと買う。それから満鉄の社員がみんな買った」という。

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