なぜ講談社は大改革に成功したのか?受け継がれる「野間家のDNA」

大衆は神である(88)最終回
魚住 昭 プロフィール

楢橋は会社のなかでも、雑誌の戦争協力を提唱する最先端となり、常務の省一にも面と向かって、そのことを主張した。

省一は、はじめ笑いながら、

キミ、それは軍部の言っていることではないか。私たちはその軍部に抵抗して、少しでも国民のたのしい娯楽になるように努力しているのだよ

と言った。だが、楢橋は自説を変えず、気まずい雰囲気になってしまった。

それから1週間ぐらいたって、楢橋に突然、召集令状が来た。すると、省一から電話があって、

先日のことは気にしないで、元気で行ってこい

と言われた。言葉がすぎたと思っていた楢橋には、その電話がとてもうれしく、ありがたかった。

戦後、楢橋が復職して、

あのお電話がなければ、私はきっと会社に戻れなかったと思います

と言うと、省一はまったく覚えていなかった。おそらく召集された社員にはみんなに、そうやって励ましの電話をかけていたのだろうと楢橋は思った3

中国ビジネスの背景に

「軍部に抵抗して、少しでも国民のたのしい娯楽になるように努力している」という省一の言葉に嘘はなかったろう。彼が満洲で見たのは「王道楽土」の夢と、軍が横暴を極める現実との落差であり、それが省一と講談社の戦後の出発点になったと私は思う。

省伸の前で、私は心の片隅に引っかかっていた疑問を口にした。

省一の国際交流への熱意の源になったのは、中国やアジア諸国への侵略行為に対する贖罪(しょくざい)の気持ちだったのか、それとも将来、アジアは大きな市場になるという見通しもあったのだろうか。

おそらく市場になるという考えはなかったでしょう。だってビジネスになってませんでしたから。21世紀になってわれわれがビジネス化したというか、ようやくビジネス化できたんです

2005年に講談社文化有限公司、略称をKBCという百パーセント子会社を北京につくり、他社の版権も預かって中国国内で売っている。黒柳徹子(くろやなぎ・てつこ)さんの『窓ぎわのトットちゃん』が1300万部、山岡荘八(やまおか・そうはち)さんの『徳川家康』が300万部と、中国は量がとてつもないんです

KBCを設立するとき、中国側は合弁会社方式を要求した。しかし、10%でも20%でも中国側に株を握られると、思うような活動ができなくなる。省伸は断った。

すると、中国側の出版監督官庁が、講談社だったら百パーセント子会社でいい。昔から付き合いがあるし、留学生も受け入れてくれているし、と言い出した。同業他社は『なんで講談社だけが百パーセント子会社を許可されたんだ』と不思議がってましたが、なぜかといえば祖父の代から中国出版界との草の根の交流を続けてきたから。それが今ごろになってビジネスに結びついていることはまちがいないんです

関連記事