野球界から暴力が消えないワケ…「監督崇拝」という危うさ

宗教学者・島田裕巳が語る
元永 知宏 プロフィール

監督を崇拝する空気

この初めの1年は、新人の教育係になるための訓練期間ととらえることもできる。

「人間という存在は、理由もなしにそう簡単に暴力をふるうことはできないものです。それができるようになるための修行であると言えるかもしれません」

これは大学野球部に見られる図式と同じだ。二年生が新人の教育係となり、連帯責任を負う。三年生や四年生から叱責を受けるのは新人でなく、二年生だ。だから、“教育”あるいは“しつけ”として、新人には暴力が使われる。

「同じやり方ですね。でも、新しく入ってきた人を鍛えるところはほかにもあります。帝国大学系の“七帝柔道”経験者に会ったことがあるんですが、似たようなことを聞きました。私が非常勤で教えている東京女子大学の寮でも、新入生が入ってきた最初の1週間は、『ここは厳しいところだ』と教えるために、暴力はふるいませんが、みんなで厳しく振る舞ったと言います」

〔PHOTO〕iStock
 

以前は寮などで集団生活を送るために、“しつけ”は必要な通過儀礼ととらえられていた。

「そういうことを通じて集団生活のルールを覚えたり、その場所にふさわしい振る舞いを身につけたんじゃないでしょうか。最近は保護者からの苦情が多く、少なくなっているようですが、厳しいやり方で新しい人を組織的に鍛えるという方法は珍しくはありませんでした」

しかし、こうした方法が、日本の野球界でいまだに根強く残っているのはなぜなのか。この疑問に対して、必要以上に監督を崇拝する空気が残っているからではないかと島田は言う。

「ほかのスポーツと野球が違うのは、監督の権限の強さです。選手の選別も、起用も、作戦も、監督が決めて、選手の評価もしますよね。監督=権威者なんです。だから、監督のために選手がプレイするという状況が生まれるんですよ」

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