野球界から暴力が消えないワケ…「監督崇拝」という危うさ

宗教学者・島田裕巳が語る
元永 知宏 プロフィール

しかし、いまもまだ指導者による暴力や暴言のニュースは引きも切らない。定期的に、どこかで誰かが処分を受けている。

「やっぱり、監督がユニフォームを着ていることが大きいんでしょう。それだとチームと監督が一体化してしまう。監督は一球一球に指示を出すことで、試合を細かく動かすことができる。軍服を着ているのと一緒で、シビリアンコントロールが利かない。選手は坊主頭だし、戦争態勢に見える。高校生のスポーツだということを考えれば、ユニフォームを着ていることはもちろん、ベンチに入ってサインを出すのもおかしい。高校野球を見るたびに、一体であることを重視しているんだなと思いますね」

監督がサインを出し、それに選手が従うことは当然の風景だが、それは決して当たり前ではないと島田は指摘する。

「おかしいことをおかしいと認識していないところが、一番の問題じゃないですか?」

〔PHOTO〕iStock
 

「閉鎖空間」は暴走を生む

「愛のムチ」であれば、指導者の暴力も許される。いまだにそう考える指導者も保護者もいることは確かだ。殴られることで精神が鍛えられ、ここぞという場面で力を発揮することができる。そんな思い込みを持つ人が少なからずいることは間違いない。島田が言う。

「野球のさまざまなところに根拠のないものが残っているのは、閉鎖社会だから。大相撲もそうでしょう。暴力事件が明るみになって、処分をしても次々に出てくる。でも、最近はさすがに許されなくなってきています。もしかしたら、野球界のほうが遅れているんじゃないですか。

外界から遮断される環境ができることが、誰かが暴走したり、信じられない暴力が起きたりする根源なんです。宗教でいえば、オウム真理教も共同生活をしていました。みんなで一緒に閉ざされたところにいるというのが一番危ない。高校野球をはじめとする野球の世界には、同じような閉鎖性があるように感じます」

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