熱心に信仰する祖母にとって、他の宗教は邪悪なものだった。自分が信じるものだけが絶対で、正義。だからこそ、他の宗教を信じる人たちのことを、徹底的に嫌うところがあった。

××教の信者は地獄に落ちる。○○教の信者とは仲良くしちゃいけない。近寄れば取り込まれて、自分たちも不幸になる。そんなことばかり言って、他の宗教の信者を生活のなかから排除しようとしていた。

それによって、ある日、ぼくの母は哀しい想いをすることになった。

宗教三世のフリーライター・五十嵐大さんの連載「祖母の宗教とぼく」。前回は五十嵐さんが小学生のときに体験した、祖母の勧誘と失った友情についてお伝えした。信教の自由は憲法で保障されているが、それを子どもや孫、家族に強いることは果たしていいことなのか考えさせられる。連載の5回目は五十嵐さん本人ではなく、祖母の娘、つまり五十嵐さんの母親の実体験をお伝えする。
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前世で罪を犯した、と
言い聞かせられてきた母

ぼくの母は生まれつき耳が聴こえない、聴覚障害者だ。彼女は音を知らない。電話が鳴っても気づかないし、地面を叩くような勢いで雨が降り出してもわからない。庭先で飛び交う鳥のさえずりも、後ろから近づいてくる自動車のエンジン音も、ときには泣き叫ぶぼくの声も、彼女の耳には届かなかった。それが母にとっての“ふつう”だった。

そして、そんな母から生まれてきたぼくにとっても、それが“ふつう”だった。

けれど、祖母は違った。

母の上にはふたりの姉がいるが、彼女たちは健常者だ。その後、生まれた母だけが障害者だった。その事実は、祖母をとても苦しめた。どうして健康に生まれてこなかったのだろう。なにがいけなかったのだろう。祖母は散々悩み、そして宗教にすがりついたのだ。

熱心に信仰すれば、音を拾えないはずの母の耳も治る。そんな甘い言葉を信じて、祖母は神様に祈りを捧げた。もちろん、娘たちにも信仰させた。とりわけ母には「自分自身のためなんだから」と言い聞かせ、神様へのお祈りを習慣づけた。

あるとき、そんな母がこぼしたひとことがある。

――お母さんは、前世で悪いことをしたの。その罪を償うために、障害を持って生まれたんだって。

聞けば、母は繰り返し祖母にそう言われて育ったという。だから彼女は、朝晩のお祈りを欠かさなかった。その横顔は、なんだか少しだけ寂しそうだった。

母は小さい頃から「前世で悪いことをしたから罪を償うために祈らないとならない」と言われ続けていた(写真はイメージです。写真の人物は本文と関係ありません)Photo by iStock