この「日本モデル」検査体制が現在に至るまで破綻していない背景には、いくつかの要因がある。何といっても重要なのは、幸いにして重症患者の数が抑え込まれていることである。
全く検査が追い付かず、路上死する者が毎日100人といった惨状になってしまえば、大混乱になる。それが発生していないのは、少なくとも重症化が見られれば、相当数には検査を行って病院に回せるくらいには、重症患者数と検査数が合致しているということだ。医療体制の維持は、クラスター対策と国民行動で、支えられている。
また、日本はCTスキャンの台数では世界一なので、これを活用してPCR検査前の検査としている、という特有の事情もあるのは、理にかなった日本独特の工夫であった。
しかし、それでも検査数の問題が論争を呼ぶのは、要するに(広い意味での)軽度感染者及び無発症感染者の数を把握する重要性の評価が難しいからだ。軽度感染者及び無発症感染者が、検査を受けないまま日常生活を送っていると、感染拡大のリスクは高まる。しかし、無発症者はほとんど感染させないとも言われており、実際にはそのリスクは必ずしも巨大ではないかもしれない。
結局、「日本モデル」は、完全撲滅を目指してひた走るものではなく、最初から「患者の増加のスピードを可能な限り抑制し、流行の規模を抑える」ことを狙っている点にある。(「新型コロナウイルス感染症対策本部決定の新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」[2月25日])
完全撲滅ではなく、ピークを先送りにして医療崩壊を防ぎながら、ワクチンの開発なり、集団免疫なりを期待している。そのため、長期戦に備えた「三密の回避」クラスター予防行動や、重症患者や濃厚接触者に焦点をあてて医療体制維持を重視する検査体制が、重要視されるのである。これが良いか悪いかは、議論の対象になるが、いずれにせよ「日本モデル」のやり方である。