こうした病気を思い起こさせるものや他者に対してはたらく嫌悪感が、いかにして「けがれ」のような道徳的規範にまで発展したのかについては未だ不明な部分も多いが、その過程に宗教が関わっていることは確実視されている。
「宗教」というと、文明の誕生以降に発達したものを思い浮かべる人が多い──したがってそれは “文化” であるといって生物学的進化と切り離して考える人が多い──のだが、先史時代の人類社会にも宗教は存在した。
とくにわれわれ人類の祖先が暮らしていたアフリカの狩猟採集社会は、呪術的な宗教の宝庫であったと考えられる。ホモ・サピエンスは宗教とともに心を進化させてきた動物なのである。そして疫病の脅威は、現代のわれわれをも宗教的なものへと回帰させる。
病気や不安が「他人に厳しく」させる
わたしたちの社会には、「道徳心は人間の崇高な〈理性〉に起源をもつ」という考えが浸透している。しかし21世紀の現在、多くの科学者から支持されているのは「道徳心の基盤には、進化的に形成された生物学的直観(≒ 情動)がある」という、常識に反するようなモデルだ。*7
道徳心が進化によって発達した感情に根差しているにすぎないならば、感情のパラメータをいじることによって、道徳的判断の結果を操作することもできるのだろうか?──答えはイエスである。
ジョナサン・ハイトらの研究によれば、実験的操作によって事前に嫌悪感を賦活させられた(たとえば不快な写真を見せられるなど)人は、規範に反する行動をとる人に対して、より大きな軽蔑を示すようになった。*8 また、香港大学の研究者たちが伝染病パニック映画の『アウトブレイク』を被験者らに見せたところ、体制順応性が高まった。*9
嫌悪感にセンシティブな人は、犯罪者に対してより長い刑期を要求する傾向にある*10。また、人は病気を患うと、体制順応性がきわめて高くなる(=他の多くの人が言うことを素直に聞き入れやすくなる)ことが知られている。*11
進化心理学者のダミアン・マレーらも、病気の脅威を知覚することが、人々の警戒心を強め、道徳的逸脱に対する感受性を高めることを確かめている。*12

他にも数多くの研究結果が、「感染症の脅威を意識した人は、社会慣習に則った価値観を支持しやすくなり(=新奇な価値観を受け容れにくくなり)、規範に違反する人間に対して、より強い軽蔑や懲罰意識を抱くようになる」という知見を強固に裏付けている。