2020.05.12
# 戦争

戦争は人の心も変えた…語られなかった「戦争孤児」の過酷な人生

戦争孤児の戦後史
栗原 俊雄 プロフィール

戦災孤児は何人いたのか

戦争は大日本帝国の為政者による国策である。官製「国難」の被害者に、国が補償するのは当然のことだ。ところが、帝国の後継である日本政府は戦後、元軍人・軍属や遺族への補償や援護を行ってきた。その総額は約60兆円に及ぶ。他方、「国と雇用関係になった」という理由で、民間人戦争被害者への補償を拒んだ。

補償の前提となる被害の実態調査も限定的で、しかも極めてずさんだった。たとえば金田さんら戦災孤児に関するそれである。

敗戦から1年後の1946年8月23日、第90回帝国議会の衆議院・建議委員会で、政府は議員から戦災孤児の問題を追及され、答弁した。

「現在全国にどれぐらいの孤児があるかと申しますと、是は概算でございますが、取調べた結果は大体3000名前後と推算を致して居る」

けたがいくつか違ってるのでは? と思わざるを得ないほどの少人数である。

この後、連合国軍総司令部(GHQ)は日本政府に孤児の状況を調査するよう求めた。GHQは人道上の理由だけでなく、治安維持の観点からも孤児問題を重視していた。実数や状況を把握しなければ適切な対策がうてないため、日本政府に調査を求めたのだ。

 

厚生省が行った全国の孤児の一斉調査によると、48年2月1日時点で孤児は12万3511人だった。

だが、これも信ぴょう性の薄い調査だった。たとえば住所不定の「浮浪児」や餓死や凍死などですでにいなくなってしまった孤児は含まれていない。養子になった子どももそうだ。また沖縄では調査自体がされていない。実際は12万人どころか、はるかに上回る戦争孤児がいた可能性が極めて高い。

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