2020.05.12
# 戦争

戦争は人の心も変えた…語られなかった「戦争孤児」の過酷な人生

戦争孤児の戦後史
栗原 俊雄 プロフィール

心を殺して生きるつらさ

金田さんは残された少ない資料を掘り起こし、孤児の実態に迫った。自分のように国策として児童が地方に集団疎開させられ、都市に残った家族が空襲で亡くなって孤児となったケースが多いことを知った。

聞き取りも進めようと思った。固く口を閉ざしていることは分かっていたが、「私も孤児。だから調査ができるかもしれない」と信じた。探し出した孤児40人にアンケートを送った。22人から回答があった。

「死を考えた」のが18人もいた。「一番ほしかったものは何ですか」の問いに22人全員が答えたのは、お金ではなく「親」もしくは「家族」だった。「一番つらかったこと」は14人が「遠慮して、自分自身の心を抑え心を殺して生きるのがつらかった」ことと答えた。

証言の掘り起こしと記録、発信に力を入れ始めた金田さんは、別の運動にもかかわった。東京大空襲被害者による国家賠償請求訴訟だ。

日本政府は戦後、元軍人・軍属らに60兆円の援護や補償をしてきた。一方、民間人の空襲被害者にはしなかった。前者とは雇用関係があり、後者にはなかったというのが理由だ。しかし雇用関係があろうがなかろうが、戦争という官製「国難」の被害者という点では同じだ。

 

元軍人・軍属は国の命令で戦地に赴いた(民間人はそうではなかった)というのも、国が補償の有無を判断する言い分だ。しかし、これも説得力に乏しい。

1894年に始まった日清戦争から1937年勃発の日中戦争、1941年対米英戦と、日本の近現代史は戦争まみれだった。対米戦とそれまでの戦争が決定的に違ったのは、前者には「銃後」があり、後者にはなかったことだ。沖縄はその典型である。また本土を見ても、米軍のB29は日本中に爆弾をばらまいた。日本側も迎撃した。民間人も「防空法」によって避難することを禁じられた。国内も戦場そのものだったのだ。

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