緊急事態宣言の発令
4月7日。安部首相は、新型インフルエンザ等対策特別措置法に基づき、「緊急事態宣言」を発令した。期間は、4月7日から5月6日まで。対象地域には、東京、大阪、千葉、埼玉、神奈川、福岡、兵庫を指定した。いずれも、感染者、死者の多い地域だ。
これによって、各都道府県の知事は、住民に対して「外出自粛」「学校の休校」「施設や店舗の休業」などを要請できる。
前の二つはすでに全国的に行われていた。問題は、施設や店舗への休業要請だった。突然、イベントを休止し、店を閉めて、収入がゼロになるということは、中小企業、個人経営の店にとって、存続の危機を意味する。
店舗の家賃、従業員の給料など固定費は毎月必要だ。飲食店に関しては、営業時間を短縮しての営業を認めているが、収入が大幅に減ることは明らかだった。

この時点での欧米の状況はかなり悲惨だった。フランスで感染による死者が1万人を突破し、1日の死者が600人を超えている。イギリスでもアメリカでも死者が1万人を超えた。世界累計感染者130万人、死者7万人突破。欧米は感染爆発していた。
日本では感染者が5000人を超えていたが、欧米と比べれば、何とか持ちこたえていた。ここに来て、政府もやっと、本腰を入れ始めたという感じだった。
その日の深夜、僕はお墓参りで岡山の実家に帰った。迷ったが、母親が亡くなった後の手続きも残されていた。神戸から岡山までの2時間半、運転しながら、コロナ、新刊、『首都感染』、色々考えていた。
小説を書く時は、かなり強い思いを持って書いている。数ヵ月、あるいは準備期間を入れると、数年を主人公たちとすごすのだ。共に喜び、悲しみ、考え、行動する。
本が完成し、見本が送られてくると、しばらくは寝るときも手元に置いて読み返す。しかし、次を書き始めると新しいものに夢中になって、前のものは忘れてしまう。僕の場合、特にそれがひどい。『首都感染』は書き下ろしから10年、文庫化から7年もすぎている。
実は、読み返してはいなかった。なんとなく、気が乗らなかったのだ。ほとんど内容を忘れていた。細かい場面はもとより、登場人物、主人公の名前さえも出て来ない。
『首都感染』というお手本
誰もいない実家で、本棚から探し出した『首都感染』を改めて読み返した。
中国で発生した、謎のウイルスの場面から始まる。それを察知した日本政府は、空港、港での検疫を強化した。感染者が出始めると、羽田空港一つを残してすべての空港、港の封鎖に踏み切った。
感染者の日本流入をどうやって防ぐか、入ってきた場合、その拡散をどう食い止めるか。かなり詳細に書かれている。
〈「国としてもっとも有効な対策は何だね」
立花財務大臣が改まった口調で優司に聞いた。
「感染経路を断つことです。感染経路としては、飛沫感染と接触感染、空気感染などがあります。今回の感染は主に前の二つです。この二つを断つことが第一です」
「具体的に話してくれ」
「まず、不特定多数の人が集まる所には行かない。それには、不要不急の外出を避けることがいちばんです。やむをえず人に会うときには、対人距離をしっかり保つことです。飛沫は一メートルから二メートル以内に飛び散ります。それに、手洗い、うがいを徹底する。咳エチケットはご存知でしょう。くしゃみをするときにはティシュで覆うとか、マスクをするということです。マスクは自分のためでもありますが、他人のためでもあるのです」
優司は一気に述べた。小学生用の注意事項だが、これらのことを守るのは簡単なようで簡単ではない。〉
僕の場合、初めに複数の入門書を読んで基礎知識を付ける。その後、政府が出している様々なレポート、過去の新聞記事を読んでいく。ある程度の全体的な知識を身に着け、疑問点をさらに詳しく調べる。
「不要不急」「感染爆発」「濃厚接触」「接触、飛沫感染」と言った、現在使われている単語も頻繁に出てくる。その他にも、現実とリンクするところが多くある。
感染防止の基本、空港、港での検疫の重要性。読者の感想通り、現実とほぼリアルタイムでストーリーは進んでいる。もし政府の人たちが去年の段階で、この本を読んでくれていたならば――かなりのお手本になったのではないかと思うほどだ。
地震、津波、台風など、「災害を知る」ということは、最大の防災、減災につながる。今回の新型コロナウイルスについても、同じだ。
多くの人が本を読んでいてくれたら、新型インフルエンザの恐ろしさを知り、さらに感染を防ぐ意識を持っていたのではないか。これは、僕自身にも言える。
さらに重要なのは、感染拡大を防ぐのは一人では出来ないということだ。「ダイヤモンドプリンセス」での感染は、一人の感染者から712人の感染に至っている。