コロナ以上に怖い「経済悪化の犠牲」
本稿が掲載される5月18日、2020年1-3月期の国内総生産(GDP)速報値が公表される。
実質GDP成長率について、民間33社のエコノミストの予測平均は前期比▲4.6%(年率換算)。筆者はかなり以前から▲5%と言っていたので、まあこんなものだろう。
2019年10-12月期は▲7.1%、7-9月期は+0.1%とほぼゼロだったが、それを入れずとも2期連続マイナスで、すでにリセッションだ。

さらに悲惨なのは4-6月期で、▲25%程度でないかと筆者はかねてより予測していた。となると、昨年7-9月期と比べて▲40%程度である。なお、アメリカでも米議会予算局が4月24日公表した経済見通しでは、1-3月期GDPは▲3.5%、4-6月期は▲39.6%。2019年10-12月期は+2.1%だった。3四半期を合計すると▲40%程度と、日米ともに似たような状況だ。
もっとも、日本でこれだけGDPが落ち込むのを放置していると、あとで300万人程度の失業が予想され、それによる自殺者が1万人程度増加する。コロナによる死者は1000人程度であろうから、それよりも経済悪化に苦しむ人の方がケタ違いに多いのだ。
もちろん10-12月期は消費増税の悪影響もあった。それにコロナショックが加わった結果だ。
コロナショックは消費増税ショックを含めて、需要がなくなることによる「需要ショック」だ。一部の経済学者には、サプライチェーンが分断されることによる「供給ショック」と考えている人もいて、そうした人は「コロナ増税」を主張しがちだ。
というか、増税論者はいつでも増税ありきなので、その後付けの説明のために、供給ショックであるという体裁をとりがちだ。もちろん、供給も不変ではないが、問題は需要と供給のどちらが大きく落ち込むかということである。
今回のコロナショックでは、観光業が打撃を受けるとともに、人の移動が制限され、それによる経済活動の停滞もある。さらに、何より重大なのは自粛活動その他により大きく需要が失われたことだ。経済需要の落ち込みはすさまじく、戦後例のない苦境である。遡ると、戦前の大恐慌に匹敵する。
それでも、18日の朝日新聞は「検察庁法改正『反対』64% 内閣支持率33%」と書いている。まあ、暢気なものだ。これに追随するのが一部野党であるが、つい最近まで、コロナよりモリカケ、桜が重要と豪語していた人もいた。今回もやはり、コロナより検察庁法改正なのだろう。これについては、先週書いたので繰り返さない。
そんな中、立憲民主党の福山哲郎議員による尾身茂・専門家会議副座長への質問の手法が批判されている。
11日の参議院予算委委員会で、福山氏は参考人として呼んだ尾身氏の発言を、何度も遮るという暴挙に及んでしまった。国会は、国会議員の議論の場であって、あくまで国会議員は参考人の話を聞く立場だ。
筆者も度々参考人として国会に呼ばれた経験があるが、議員から意見を遮られたことはない。参考人は日常の業務の時間を割いて国会にわざわざ出向くのだから、国会議員はその話を聞く責務がある。まして、意見を遮るなど言語道断だ。やはりコロナの優先順位は低いということだろうか。