祖母は人生の幸不幸が信仰心によって左右されるのだと堅く信じている人だった。なにかいいことがあれば「神様のおかげだよ」と言われ、嫌なことが起きてしまえば「信仰が足りなかったんだ。もっと祈りなさい」と叱られた。
幼い頃からそんな祖母の価値観を植え付けられていたぼくは、いつからか「幸せな子ども」を演じるようになっていった。いつだって楽しくて、1ミリも悩みのない人生を歩んでいる。そう振る舞わなければ、祖母に「真面目に信仰できない、ダメな孫」という烙印を押されてしまうような気がしたのだ。
でも、思春期の子どもの大半がそうであるように、ぼくにだって悩みはあった。なかでも一番大きかったのが、人間関係にまつわるものである。
一生懸命“ふつう”であることを
演じていた
当時のぼくにとって、家族が“ふつう”ではないことがひとつのコンプレックスになっていた。両親は聴覚障害者、祖父は元ヤクザの乱暴者、そして祖母は熱心な宗教信者。どうしてぼくは“ふつう”の家に生まれなかったんだろう――。常にそんなことばかり考えていたように思う。同時に、“ふつう”の家に生まれた周りの子たちを羨むようになっていった。いま思えば、家庭のことなんて外から見ているだけではわからない。きっと誰もが悩んでいたはずなのだ。でも、視野が狭かったぼくは、とにかく周囲の子たちと自分とを比較し、特殊な環境にいることに絶望していた。

子どもの世界はとても小さい。そして、“異物”は排除されてしまう。ちょっとでも変わっているところがあれば浮いてしまい、からかわれ、いじめの対象にもなりうる。だからぼくは、いつも“ふつう”の子どもに擬態していた。けれど、ふとした瞬間にメッキが剥がれてしまう。それに怯えたぼくは、徐々に周囲と距離を置くようになっていった。深く関わらなければ、自分の正体がバレてしまうこともない。
そうして中学校にあがる頃には、引っ込み思案で、常におどおどしていて、同世代の子たちとうまくコミュニケーションが取れない子どもになってしまった。