ラーメン情報がメディアに出ている理由
「俺は自分の舌しか信じない」と彼は言った。
彼はラーメンが大好きで、しょっちゅうラーメン屋でラーメンを食べていた。そして、いつも美味(おい)しいラーメン屋を探していた。でも彼は、雑誌やインターネットの情報を信用しない。実際に自分でラーメン屋に行って、自分の舌で美味しいか不味(まず)いかを判断するのだ。彼に言わせれば、雑誌やインターネットの情報なんか、当てにならないそうだ。
彼の生き方は立派である。人の意見に左右されず、信念を持って生きるなんて、誰にでもできることではない。そして、彼のような生き方をしている人には、本書は必要ないだろう。本書は、彼のような信念を持っていない人のために、書かれた本だからだ。
ラーメンを食べて、美味しいか不味いかを言うだけなら、誰にでもできる。でも、なぜ美味しいのか、あるいは、なぜ不味いのか、その理由を説明することは、誰にでもできることではない。そして、その理由の中には、多くの人が共感してくれるものもあるだろう。
つまり、ラーメンが美味しいか不味いかには、何らかの一般性があるはずだ。
一般性があるから、つまり他の人ともわかり合える共通性があるから、雑誌やインターネットにラーメン屋の情報があるのだ。もしも、まったく一般性がなかったら、ラーメン屋の情報なんか読んだって、何の役にも立たない。ラーメンの味について、他の人とわかり合えることなんて、何一つないことになるからだ。

もちろん、人には好みというものがある。ある人には美味しいラーメンが、別の人には不味いということもあるだろう。しかし、そうであっても、ラーメンの味にまったく一般性がないことはないはずだ。(すべての人ではなくても)多くの人が共通して美味しいと感じるラーメンは存在するからだ。
文章も同じだろう。きっと、わかりやすい文章とか論理的な文章には、何らかの一般性がある。そして一般性があれば、それは人に伝えることができるはずだ。しかも、その一般性は、短い時間で簡単に伝えることができると私は思う。
勉強しないでも国語はできてしまう理由
たくさん勉強すれば、成績はよくなるかもしれない。でも、あまり勉強しなくても、よい成績が取れることもある。高校の科目の中で、そういう人が一番多いのは国語(古文や漢文は除く)だろう。
もちろん、国語が苦手な人もいる。そんな友人の一人が、こんなことを言っていた。