政府はどんなこともできてしまう
しかし、「連絡会議」問題に対して、政府は過去にさかのぼってこれから記録を作ると3月に入って国会で答弁し、また会見等で説明してきた。
これは、モリカケ日報問題を受けてガイドラインを改正し、公文書管理の徹底を図ったとする政府、特に官邸が、そもそもガイドラインの求める記録の作成をしていなかったと明らかにしたにほかならない。
ここで議論されるべきは、本来、打ち合わせ等記録は、議事録のような発言者名と発言内容まで記録するまで常に求めるものではないので、歴史的緊急事態と指定したことで、通常の範囲を超えて「連絡会議」の記録をどの程度の内容で作成するかなのだ。
ところが、菅官房長官は記者会見で、連絡会議は「先に『歴史的緊急事態』に指定されたことで義務付けられる議事録作成の対象には含まれない」(2020年3月11日付時事通信「新型コロナ連絡会議、議事録作成の対象外 菅官房長官『報告の場』」)と述べている。
連絡会議について誰が何を言ったのかなどの記録の作成は必要ないということだ。むしろ、歴史的緊急事態に指定したことで、通常は作成しなくてよい連絡会議の記録を作成することにしたかのような認識を政府は示している。

結局のところ、歴史的緊急事態という言葉がバズワード化して、政府はその範囲のみで自らの文書作成義務などについて説明して論点を矮小化し、政治もマスメディアもその範囲で政府を批判する。
そのことによって、政府に専門家会議などの議事録等を作成しないことの理由を与えてきてしまった状況から、全く抜け出せていない。
かえって、歴史的緊急事態に指定したことで、政策決定・了解を行う会議のみ議事録作成が必要であるという政府の認識は、公文書管理法のもとで義務付けられる文書の作成義務の範囲を切り下げ、記録を作成しなくてもよい言い訳に使われている。
こんなことが許されるなら、政府の公文書管理はかなり恣意的かつご都合主義的な解釈で、どんなこともできるということになってしまうだろう。