通勤は辛いものという思い込み
こうしてみると、鉄道会社は長きにわたって出来る限りの対策は講じてきたことが分かる。しかし、「通勤地獄が解消された」と思っている人は、むしろ少数のはずだ。それは一体、なぜなのだろうか。
ひとつには日本人の生活水準が向上したことで、通勤車両のグレードアップもそれほど目立たなくなり、ありがたみを感じにくくなったことが挙げられる。
また、鉄道の進化とは対照的に、通勤スタイルそのものが大して変化していないことも要因だ。便利になればなるほど、大都会の特定の路線に通勤客が殺到しては、通勤地獄の解消とは程遠くなってしまうのも無理もない。

つまり、「企業の始業時間がほぼ同じで、勤務地が都心にあること」。その一方で、「標準的なサラリーマンにとって、郊外に一戸建てマイホームを持つことがステイタスであった時代の影響が、かつてほどではないにしても、今も続いていること」。結局、この2つが、今なお日本人が通勤地獄から抜け出せない原因ではないだろうか。
さらにそれを後押ししているのが、「一億総中流」といわれた時代から続く、横並びの意識や、「通勤は辛いものであって、往復の電車でゆったり過ごすことはありえない」という固定観念だ。
残念ながら、耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶ通勤、すなわち「痛勤」や「酷電」という言葉で表現された昭和の通勤スタイルからあまり変化していないのが、今の日本の現状と言えるのかもしれない。