父がこっそり神社へと連れ出してくれた日
祖母は「神社やお寺を訪れること」も禁止していた。ぼくが住んでいた街にはとても有名な大きい神社があり、幼稚園生や小学生の遠足の場としては定番になっていた。けれど、もちろん、ぼくはそこに入れない。春や夏にはお祭りも開催されていたが、当然、遊びに行ってはいけないと言われていた。
「おばあちゃん、来月の遠足、××神社に行くんだって」
恐る恐る、そう告げたことがある。すると祖母は冷たくこう吐き捨てた。
「そんな場所に絶対行くんじゃないよ。その日は休みなさい」
そうして、ぼくは遠足への参加を諦めさせられた。当日、電話口で「突然熱を出してしまったので、今日の遠足はお休みさせてください」と朗らかに話す祖母を見て、こんなに元気なのに、どうしてぼくはみんなと同じような体験をさせてもらえないのだろうと哀しくなった。
だけど、そんなぼくを不憫に思ったのか、父がこっそりと神社に連れていってくれたことがある。そこは木々が生い茂り、街を一望できる高台に位置していたので、街の人にとっては「信仰の場」としてだけではなく、「憩いの場」としても機能していたのだ。幼い子どもをそこに連れていき、自然に触れさせるのは教育としても意味があると思う。父もそう考えていたようだった。

母が用意してくれた水筒を下げ、父とゆっくり神社内を見てまわる。蝶やトンボが飛び交い、けたたましいセミの鳴き声が響く。疲れたらジュースを飲んで一休み。取り立てて特別なことはしなかったけれど、普段は足を踏み入れられない場所にいるという興奮もあり、とても楽しい時間を過ごすことができた。ただし、その帰り道で父が言う。
「おばあちゃんには内緒だからね」
別に神社でお祈りをしたわけでもないのに、ぼくらはいけないことをしているんだ。そう思うと、胸が苦しくなった。“ふつう”の子が“ふつう”に体験できることが、ぼくには禁止されている。それはとても窮屈で、息苦しい。でも、祖母と暮らす以上、仕方ないことなのだ。ぼくは何度も何度も、自分にそう言い聞かせた。