小池百合子氏「たった55日の防衛大臣」時代に起こした大混乱の真相

救世主として現れ、怪物として去った
半田 滋 プロフィール

『女帝』の中で守屋氏はインタビューに答え、辺野古新基地をめぐり、環境大臣だったころの小池氏と意見の対立があったことを明らかにしている。

だが、小池氏は防衛相の就任会見で、沖縄の政財界から出ていた辺野古新基地案を見直して沖合移設案とすることについて聞かれ、「それをまた始めますと、時間との関係もございます」と述べ、政府案通りとすることを示唆している。つまり、守屋氏の考えに小池氏が寄せたのだ。

沖合移設案に理解を示していた環境大臣のころと態度を一変させたことに対し、沖縄では失望感が広がった。大城敬人名護市議は「小池氏はタカ派で安倍政権の最も忠実なる実行者。地元の声を無視し、久間さんよりもっと強硬に日米合意を推し進めるでしょう」(2007年7月7日、東京新聞「こちら特報部」)と述べている。

こうして振り返ると、防衛相に就任した後の小池氏と守屋氏との間に、辺野古新基地をめぐる確執はなかったことになる。

 

では、小池氏が守屋氏のクビを切ろうとした理由は何なのか。私には、事務次官職に4年という異例の長期にわたって居すわり、絶大な権力を握るに至った守屋氏の存在が邪魔だったからだ、としか思えない。

小池氏が防衛相になるより1年前の2006年5月30日、当時の小泉純一郎首相は、辺野古新基地案を含む米軍再編に「特別な功労があった」として、自らの訪米に守屋氏を同行させた。外務事務次官でさえ首相に同行した例はない。帰国した守屋氏は上機嫌で訪米の写真集を大量に作らせ、関係筋に配布したほどだ。

小池氏は、自分が小泉氏の全面的な支援を受けたのと同じように、小泉氏が守屋氏の後ろ楯になっていることに我慢がならなかったのではないだろうか。

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