「デブ警察」、
そろそろ解散する時代が来ている!

いま、ネットで誹謗中傷問題が話題になっていて、加害者たちは、その人たちなりの『歪んだ正義感』で執拗に書き込んでいた事実が、ニュースを見て明らかになってきている。

デブ、太っている、やせたほうがいい、そんなコメントを無意識に書いていないだろうか。photo/iStock

よく太っている人に対して、「デブが嫌なら痩せれば?背の高さとかはどうにもできないけど、デブはただの甘え」と言う意見を見るし、以前は私自身もそう思っていた。でも、今思うとそれらの発言は「嫌な思いをしないようにお前が変われ」つまり、「いじめられる方に問題がある」と言っているのと同じことだ。

そういうことは、自分で思うのは自由だけど、他人には言ってはいけない言葉だと気付いていない人がかなり多い。
石を投げつけられないようにしろ、ではなくて、石を投げないで欲しい。

 

身体的特徴の揶揄において、特にデブ警察は、圧倒的多数部隊だ。
太っている人を見つけると格好の獲物を得たように足を止め、口を挟んでくる。
「自分は努力して○kg痩せたんで言いますけど…」と言ってくる人もいる。はっはっは。人には人のスカウターがあることを知ってくれカカロット。もう痩せたなら他人のデブは気にする必要はないぞ!!!  安心してくれ!!  デブ警察の管轄区域は、自分の人生でしかないんだ!!

私はイベントやネットを通して、摂食障害や容姿について悩む女性たちから話を聞く機会がある。彼女たちの話を聞いていると「他人や社会からの体型指摘に傷ついた経験がきっかけだった」「(痩せて)人に認められたい」「あるべき理想像になれない自分が許せない」という意見が、圧倒的に多い。

もし、どんな容姿でも揶揄せず、尊重しあえる社会だったら、間違いなく、もっと生きやすい人たちがいたはずだ。他人に何を言われても鋼の心で強く生きられる人もいるけれど、そもそも他人に言葉の石を投げる人がいること自体、間違っている(大事な事なので2回目)。自分の容姿に悩む彼女たちは、悪しき社会風潮による傷つきの被害者でもある。

ちなみに私は摂食障害で悩んでいた当時、彼氏に「私に”痩せて”と厳しく言って欲しい」と言っていた時期がある。太っている自分が他人に愛されるはずはないと思い込んでいたのだ。相当ドMだし、どうかしてたと今は思う。彼には「そんなことしなくても大丈夫だよ」となだめられていたけど納得がいかなかった。当時の私には、その彼の本当の愛が理解できなかったのだ。デブ警察の呪いは相当、深かった。