別の子には、「お父さんはヤクザなの?」と半分真剣に聞かれて、笑ってしまったこともある。
子供のことなのでもちろん、大人ほどの知識量はないのは当たり前なのだが、その頃のフランスではパリですら「寿司」なんてほとんど食べられなかったし、せいぜいヤクザやゲイシャという言葉が知られている程度だった。その頃のフランス人の子供たちにとって日本という国は、全く知らない、あるいはどこか理解を超えた国というイメージだったのだ。

ところが、2013年に再びフランスへ戻ってきてみると、日本の認知度はかなり高まっていて、日本に憧れる子供たちも増えていた。
例えば、友人の小学生の娘さんが日本に夢中になっていた。私が遊びに行くと、「日本人なの? 日本語話せるの? 私は独学で日本語勉強しているの。日本のものならなんでも好きなの」と言いながら、和傘のおもちゃを大切そうに見せてくれた。私が中学の頃は、面白おかしく日本語の真似をするような子もいたが、今はそんなことはない。日本語は美しい言葉として認識され、友人の娘さんにも「ずっと日本語で話してほしい」とねだられた。
また、夕ご飯を作るのがめんどうくさい日はちょっと近くのお寿司をテイクアウト、なんていう会話もしょっちゅう聞かれるようになった。
もちろん、日本への憧れの強まるという現象はフランスではこれまでも何度か起きている。フランスの日本びいきには、長い歴史があるのだ。たとえば19世紀のフランスの印象派の画家たちに大きな影響を与えた浮世絵とジャポニズム。この言葉と日本への憧れというのは今日に至るまでずっとフランス社会の底流に存在している。
こうした憧れは絵画など特定分野に限られていたが、それが一般レベルにまで広がっているというのが、今日起きていることと言えるかもしれない。