高学歴者の狭い視野

教育軽視の結果と捉えることもできるが、学歴を重視する今の日本社会におけるもう1つの大きな問題が、高学歴者の社会への視野の欠如である。

例えばフランス語には「Noblesse oblige(ノブレス・オブリージュ)」という「貴族(Noblesse)」と「義務を負わせる(Obliger)」を合わせた言葉がある。この言葉は、元々は文字通り貴族は貴族としての振る舞いをすべきという意味として使われていたが、今日では富裕層や高学歴者など社会的に力のある立場の人はそれ相応の社会的責任や義務を負うべきという考え方を示す言葉として使われている。

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このような考え方は、私の知る範囲でも欧米だけでなくアジアを含め世界の多くの地域に当り前のように見られる。国際学会などで研究者が集まれば、世界情勢や自国の政治や社会の問題を当り前のように話題にするし、例えばジョージ・フロイド氏が殺害された事件に端を発した世界に広がる人種差別への抗議行動においても、私の所属する国際学会は署名と共に声明を発表している。

一方日本では、研究者が集まれば、〇〇大学の次の教授は誰か、〇〇が結婚したらしい、といった内側への視野に限った話題が多く出る。ネットを見ても高学歴なエリート達が、COVID-19後に求められる人材になるために、といった自分の立場をいかに守るかという視野の話題で盛り上がっていたり、日本の高学歴者は世界でも突出して社会への視野を持たない傾向にある

 

このように日本では、社会を維持・発展させる上で学歴を意義あるものにする要素がことごとく欠如している。つまり、高学歴者が社会をリードする土台が全く整っていないのだ。それにもかかわらず日本社会は、会社でも政治でも高学歴者が社会を動かす力を持つ紛れもない学歴社会である。

この一見すると矛盾に満ちた状況はなぜ生まれているのか。