どうしても
神様を否定したくなった瞬間
やがて大人になり、ぼくは信仰と距離を置くようになった。実家を離れ、東京でひとり暮らしをはじめてからは、完全に“ふつう”の生活が送れるようになった。部屋に宗教にまつわるものを置かない。宗教の話題も出さず、宗教信者とは関わらない。そうやって距離を取ることで、自分が“ふつう”であると思い込もうとしたのだ。
その一方で、祖母を裏切っているのではないか、という葛藤に苛まれることもあった。彼女は彼女の正義のもと、ぼくを幸せにするために信仰を勧めていた。その気持ちを無下にしているのではないか、と感じてしまうのだ。
だからこそ、いくら宗教から離れたとはいえ、決めていたことがあった。
それは、「祖母の目の前で、宗教を否定しない」ということだ。
たまに会いに帰れば、祖母は必ずこう言う。
「ちゃんと神様にお祈りしているのか?」
反射的に、「いつまでそんなことを言ってるんだよ」と言いかけてしまう。でも、それをぐっと堪えて飲み込み、「うん、心配ないよ」と曖昧に笑って誤魔化す。そうすれば、祖母もそれ以上は追及してこないことを知っていた。
すべては祖母のためであり、ぼくのためでもある。この“嘘”は、ぼくが祖母と良好な関係を続けるための処世術だった。
そもそも、長年信仰を続けてきた老人に対し、「お前がやってきたことは、すべて間違いだったんだ」と突きつけることになんの意味があるだろうか。
祖母は祖母の世界のなかで、心穏やかに生きている。神様を信じることにより、安らかな毎日を送ることができているのだ。無駄な正義感を振りかざし、それを邪魔する必要なんてない。
家族とはいえ、どうしてもわかり合えない部分はグレーのままでいい。そう思っていた。

ところが、どうしても神様の存在を真っ向から否定したくなってしまった瞬間があった。
それは、祖母が亡くなったときのことだ。