これが「幸せな最期だったね」と言えるのか

仕事を休み、実家には5日間滞在した。その間、祖母は動くことさえできなかったけれど、ぼくの言葉に耳を傾けてくれた。

時折、麦茶を含ませた脱脂綿を口元に持っていくと、祖母はうれしそうに目を細めた。その表情を見つめながら、ぼくは朝から晩まで祖母に話しかけ続けた。

祖母が亡くなったのは、ぼくが東京に戻った直後だった。とんぼ返りのように実家に向かったけれど、最期の瞬間を看取ることはできなかった。

ずっと寝たきりだった祖母は床ずれを起こしており、傷口が壊死しはじめていたらしい。納棺の際、部屋中に耐え難い異臭が漂っていた。

すっかりこけてしまった顔はまるで別人のようで、気味が悪かった。けれど、集まった親族や近所の友人たちは、みな一様に「おばあちゃん、綺麗だね」と言った。そして、「幸せな最期だったよね」とも。

その瞬間、大きな声で叫びたい衝動に駆られた。

重度の認知症になり、家族の顔さえ識別できず、しまいには床ずれで身体が半分腐った状態で死んでいった祖母が、「幸せな最期」だった?

神様がいるのなら、どうしてこんな終わりにしたんだ。痛みに苦しみ、身体が腐りかけ、わけもわからない状態で死ぬなんて。祖母の口から、お別れの言葉すら取り上げてしまうなんて。どれもこれも、祖母が願ったことなのか。

 

もちろん、認知症になった人がすべて不幸だなんて言わない。どんな痛みがあったとしても、幸せな最期を迎える人だっているだろう。

でも、間近で見ていて、祖母の最期が幸せだったとは思えなかった。「幸せ」と言わざるを得ないのは、神様の存在を否定しないための詭弁じゃないか。

神様を信じれば、幸せになれる? そんなの全部、嘘じゃないか――。

誰よりも熱心に信仰してきた祖母に、神様が与えた最期の瞬間。ぼくはそれを、一生忘れないだろう。

認知症になっても、寝たきりになっても、「幸せではない」とは言いきれない。しかし「幸せだった」と言うことは、決してできない最期だった Photo by iStock
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