当のトルーマンは天皇制存続を保証すれば、日本が降伏することはわかっていたといわれているが、戦争が終結するまで天皇制存続を保証せずにおいた。
1945年7月16日、ニューメキシコ州で行われた原爆実験の報告を受け、トルーマンは態度を変える。スターリンに対して「上から目線」で接するようになったと言われている。
そして、トルーマンは広島と長崎に原爆を投下することを決める。
トルーマンは、米保守派が求めた天皇制存続の保証により日本を降伏へと導く道ではなく、原爆投下とソ連参戦というダブルパンチで戦争を終結させる道を選んだのだ。
後に、マッカーサーはフーヴァー元大統領にこう伝えたという。
「もし、アメリカが天皇制存続を保証していたら、日本は5月終わりに、喜んで降伏していただろう」
しかし、トルーマンが原爆投下を決断したことは、何よりソ連に大きな影響を与えたのではないか。原爆投下は、ソ連にアメリカの核の力を見せつけ、結果的に冷戦構造を生み出すことになってしまったからだ。アメリカに対抗するようにソ連も核開発に力を入れ始め、両国の核兵器開発競争が始まった。そこから始まった核開発競争は、ソ連がなくなった今も各国の間で続いており、再び「核の恐怖」が高まっていると専門家たちは危機感を高めている。
アメリカ人の意識の変化
国連で軍縮を担当する中満泉事務次長は「核のリスクは冷戦ピーク時以降、最も高い」と『エコノミスト』誌上で警告し、ストックホルム国際平和研究所も、世界での核弾頭の数は約3%減少したものの、全保有国が核兵器の近代化を進める動きに懸念を示している。