71人の女性を殺害した男…ゲイリー・リッジウェイの歪んだ素顔

「殺した数は、多すぎて覚えていない」
阿部 憲仁 プロフィール

抑圧的だったゲイリーの母親

1949年、ユタ州ソルトレイクシティにて、ゲイリー・リッジウェイは3人兄弟の次男として生まれた。彼の家は「閉鎖的な家庭」で隣近所との付き合いはほぼなかった。こうした外部とのつながりが薄い家庭は、子供にとって「密室」だと言える。そのような環境では、親の行為が子どもの人格に大きな影響を与えることは否定できない。

ゲイリーの母親は気性が荒く、バスドライバーの父親との間に言い争いが絶えず、夫の頭に皿を叩きつけることもあったという。彼女は息子に対しても支配的で、その高圧的なプレッシャーからかゲイリーは夜尿症が止まらず、その度に母親に直接陰部を洗われた。彼がおねしょで濡らした布団を、わざと同級生から見えるよう外に干していたともいわれている。

被害者の遺体の捜索に同行したゲイリー・リッジウェイ[Photo by gettyimages]
 

また、彼女は、ボディーラインがよく見えるドレスを着て、派手なメイクでよく外出していた。幼いゲイリーにとっては、その姿は「売春婦」のように映っていたのかもしれない。逮捕後、彼は心理鑑定士に対して、母親の「性的な魅力」と、おねしょの度に母に陰部を直接洗われる「侮辱」への「怒り」から、彼女に「殺意」を覚えたと漏らしている。

彼が初めて人を殺そうとしたのは16歳の時だった。襲いやすい6歳の男の子を森の中に連れ込み、怒りを発散するためにナイフで刺したのだ。傷はあばら骨を貫通し肝臓にまで届くほど深いものだったが、少年は奇跡的に一命を取り留めた。犯人を特定できなかった警察は、面倒に思ってこの事件を公の記録にすら残さなかったのではないか、と言われている。

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