71人の女性を殺害した男…ゲイリー・リッジウェイの歪んだ素顔

「殺した数は、多すぎて覚えていない」
阿部 憲仁 プロフィール

彼はワシントン州の高校を卒業した後に最初の妻と結婚し、20歳で海軍に入隊。1969年にベトナム戦争へと派遣されたが、帰国後には離婚している。1973年には2人目の妻と結婚し、75年に一人息子のマシューをもうけた。しかし彼女に1日に複数回セックスを求め、行為中に首を絞めたり紐で縛り挙げたりすることが原因で、1981年には2度目の離婚が成立した。その後、彼の凶行が始まったのだ。

逮捕されるまでの20年間

ゲイリーの犯行のピークは、1982年から84年に集中していた。多い時は1ヵ月に3~4回のペースで殺害し、1983年には24人もの女性が殺されている。彼は20歳に満たない若い女性を狙い、いつも決まったルーティーンで犯行に及んだ。

まず売春で生計を立てる女性が多い地区で、相手を物色する。ターゲットを決めると、時には自分の息子の写真を見せるなどして相手を安心させ、車に乗せる。車内で性行為を始めて数分後、後ろから両手かひもで「絞め殺す」のが定番だった。時にはターゲットを自宅に呼んで殺すこともあれば、人目につかない場所まで運転してから殺害することもあったという。

グリーン川下流の様子[Photo by gettyimages]
 

大概はグリーン川周辺や国際空港であるシアトル・タコマ空港近隣のうっそうとした林に死体を遺棄したが、場合によっては、南キング郡の森の中の「お気に入りの場所」に隠すこともあった。前述の通り、彼は殺害後も隠し場所に戻っては、被害者の死体との性行為を繰り返していた。

事件を担当したワシントン州キング郡の当局は、「グリーン・リバー・キラー」専従の捜査タスクフォースを結成し、早々からリッジウェイを容疑者だとマークしていた。しかし彼は警察によるポリグラフテスト(嘘発見器)に合格し逃げおおせている。

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