支配エリートが進める現代版「帝国主義」と闘うにはどうすべきか?

反緊縮左派が試されるとき(6)
松尾 匡 プロフィール

野党は自ら墓穴を掘り続けてきた

2016年の参議院選挙の前、イギリスのEU脱退の国民投票結果が出て世界経済が動揺して、株価が下落したとき、野党のみなさんはここぞとばかり「アベノミクス破綻! 破綻!」と言いまくっていましたが、危機が外からやってきたと思われているならば、それは自民党への批判票につながりません。

野党が自民党を上回る景気拡大策を示さない限り、有権者は「アベノミクス破綻! 大変だ自民党に入れよう」ということになって、自らの墓穴を掘ることになったわけです。

結局、破綻論を言い続けた結果は、一方で有権者の信頼を失い、他方で熱心な活動家の間に、有権者(特に若者世代)を、宣伝に騙され目先の利益を追う愚か者扱いして見下す態度が染み付くことになったと思います。

なお、危機論を根拠にした社会変革の提唱と言えば、気候変動危機への対処もそういう姿勢に陥りがちですので、私たちは極力、そうならないように意識しなければなりません。

いやそもそも、前回述べた新自由主義者の問題意識に基づく産業構造転換論そのものが、日本経済没落の危機論の押し付けだったからこそ人々の暮らしを平気で踏みにじってきたのだし、ほとんど同じことを言っているリベラルも必然的に同じ姿勢になるわけです。

地域帝国主義体制は安定する

さて、私がここでよく警告しておきたいことは、前々回に示した地域帝国主義体制は、一旦できると安定し、そう簡単に破綻することはないということです。

それは現代の日本資本主義がおかれた条件のもとで、その体制が再生産しようとすれば自然な合理的帰結として成立するものです。

たしかに円高が続いて国内生産が壊滅し尽くせば、やがては円暴落のリスクは高まるかもしれませんが、そんな10年以上先の危機を説得材料に使っても有権者は動きませんし、本当にそんな危機が近づけば、支配階級は何かしら回避方法を編み出すものです。それまでの間には、AI技術の発展など、何がおこるかもわかりません。

ですので、経済破綻に期待しても、この体制は延々続きます。危機論に訴えるかぎり、この体制へ至る世の中をくつがえすことはできません。

(ちなみに、反緊縮的見かけに転換した維新の会も、福祉などを不生産的なものと位置付け、稼げる事業に資源を集中してその果実で福祉などにまわそうという図式を掲げる点では、支配層の淘汰路線と同じなので、維新政権が生まれてもやはりこの体制は推進されます。)

生活実感からの反対

私たちは、何も知らない大衆に真理を悟ったインテリが上から目線で持ち込む「ハルマゲドン」話ではなくて、大衆のおかれた地べたの実感から、この新体制への移行に反対しなければなりません。

コロナ収束後の私たちの前には、自営業者や中小企業が淘汰され、全国チェーンやグローバル大企業ばかりが生き残るスカスカな格差社会への道があり、そしてそれは地域帝国主義へと続いています。この道に反対ですか。それはどうしてですか。 

それは、たくさんの働く民衆が、さまざまに生き抜いている普通の庶民が、今よりももっと生きづらくなった日常が続くから。今誇りをもって働いている生業の場と人とのつながりを失うのは嫌だから。

今非正規労働者として、意にそわぬ労働を低賃金で強いられている人々が、その境遇からいつか逃れる希望が絶たれるから。経済破綻しなくても毎日地味にしんどいから、地味にひもじいから

ほかの国々の労働者を搾取して成り立つ体制のもとでは、心の底からスッキリと尊厳を持って生きることができないから、反対するのです。一部の人間が、別の多くの人間の頭上に延々泥靴を乗っけて生き延びさせるような世の中が、腹が立つから反対するのです。

それでいいのです。実感を根拠にして立ち上がっていいのです。その実感は、国籍や民族や肌の色や性別や地域や生まれや世代を超えた普遍性があるからです。だとしたら必ずその怒りは共感と連帯を呼び、この道に至る世の中をくつがえすでしょう。

それを「必然性」と呼ぶのです。

この連載は大幅に加筆修正した後、講談社現代新書から刊行する予定です。