五輪選手たちを「戦地」へ送るしかなかった…ある名コーチの知られざる「真実」

彼が抱いていた「平和への思い」とは?
山田 洋介 プロフィール

だが、この説を覆す証言がでてきた。東京オリンピックの組織委員会で式典課の仕事をしていた吹浦忠正さんは、開会式の6日後、この大会に不参加だった中国が初の核実験を行ったというニュースが飛び込んできた時、組織委での自分の上司が「古代ギリシア人が1200年にもわたって守ってきた大切なことが、なぜいまの人々にはできないのだろうか」と嘆くのを聞いた。

その上司こそ、松澤一鶴だった。台湾は参加しているのに、中国は参加していない。南ベトナムの選手はいるが、北ベトナムの選手はいない。そして、中国の核実験。悲惨な戦争を経てもなお争いをやめない世界を、松澤は心底悲しんでいたという。

この時点で、松澤の胸に「企み」があったのかは定かではない。しかし、閉会式直前、吹浦さんは松澤にこんな指示を受けた。

「入場する直前に、国同士を仕切るロープを外し、各国の選手が入り混じった状態を作り出して、会場に突入させよう」

1964年 東京オリンピック開会式に出席した昭和天皇夫妻[Photo by gettyimages]
 

当然、閉会式にそんな演出は予定されていない。閉会式は、昭和天皇・皇后両陛下も臨席されている。そんななかで、松澤のゲリラ的なアイデアは許されるものなのだろうか。葛藤した吹浦さんだったが、最終的に震える手でロープを外した。かくして、選手たちは入り混じり、ある者は肩を組み、和気あいあいと会場へとなだれ込んでいったのである。

もし失敗したら、目も当てられない結果になっていただろうし、選手たちが入り乱れることで、何かアクシデントが起こらないとも限らない。松澤はなぜこのような指示を出したのか。松澤は大会の成功を見届けるように閉会式の88日後に亡くなった。

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