データがあるのに真実は見えない
新型コロナウイルスにどう対応するかは客観的なデータが教えてくれるはず……と思っていた人は、すっかりわけがわからなくなっているだろう。
「ロックダウンして短期間だけがまんすれば未来は明るい」と言う人、「それほど危なくないから経済を優先するべきだ」と言う人、それぞれがもっともらしいグラフを持ってきて、こうすればこの数字はこうなる、だから取るべき策はこうだとプレゼンするのだが、それぞれ客観的な数字を見ているはずなのに結論がまったく違う。
しかも予測の内容が毎日のように変わる。
あげくに「昨日と今日とでは状況が変わっているので態度を変えることこそが科学的である」という理論まで飛び出すありさまで、聞く立場からは思考の過程をまったく再現できず、したがってほかの情報と照らし合わせることもできず、焦点は「その人に全権委任するかどうか」、判断材料はその人の権威しかないといった具合に、現代社会はデータから出発していつのまにか中世に戻ってしまったようだ。
なぜこんなことになってしまったのだろう。

崩壊する医学統計
2019年に大ヒットした『FACTFULNESS』という本がある。2018年には『世界一シンプルで科学的に証明された究極の食事』、2017年には『「原因と結果」の経済学』と、統計を通してものごとを見ようという本には安定した人気があるようだ。
この3冊には、どれも著者が医師だという共通点がある。
どうも医師は統計を絶対視しがちなのかもしれない。あるいは、そういうふるまいを医師に期待する、何かの需要があるのかもしれない。
たしかに医学の論文や教科書には統計がたくさん出てくる。「エビデンスに基づく医療」(Evidence-based medicine)という言葉を聞いたことがある人は多いだろう。詳しい人なら、ランダム化比較試験とかメタアナリシスという言葉をある程度説明できるかもしれない。医学は統計学を取り込むことで新しい時代を迎えたとされる。
しかし筆者は、大多数の医師はそれほど統計を信用していないと思うし、統計を使いこなすことが優秀な医師の条件だとも思わない。
そもそもほとんどの医師は学者ではない。学者ではないから、未確定な仮説をよく知っている必要はないし、自分の手で検証しようとするべきでもない。
そして以下で見るように、医学統計は客観的とか科学的というイメージからはほど遠く、抜け道だらけ、問題だらけだ。その結果、いまや「エビデンスに基づく医療」のコンセプトそのものが崩壊しようとしている。
この記事は全3回にわたって、医学における統計の扱われかたの変遷と、その結果として生まれたモンスターのような統計ハッキングの技法のいくつかを紹介する。